プラットフォーム

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様々な自治体で緊急雇用対策や就労支援等の事業が実施されている。

これらは失業中の人々らにとってはある意味社会のセーフティーネットになっていて、

それ自体は必要な事業だと思っている。

ただ、どこかの大学の先生が言っていた。

沖縄県内の公共事業はほとんど”対症療法”であり、”原因療法”にならない限りはずっと貧しいままだと。

僕は現場でよくその様を見ている。

役所の職員も、新規事業ができず、従来の?がつく事業を継続せざるを得ない状況であることも良く目にしている。

人材育成関連の例としては、

①A市がB社に育成事業を委託する。(数千万レベルの事業が多い)

②B社は失業中の市民を募り就労に向けた教育をする。

③教えるのはオフィスソフトだったり、外国語だったりする。

④それを覚えて就職に役立ててねという建前だが、何を勉強するかはあまり関係なく、受講者はお金がもらえるのでそこに通う。

⑤つまり公費が、あるフィルターを通って就職できずに生活に困窮している市民に下りていく。

概ねこのようなパターンが多い。

半年間外国語を習って仕事で使えるほどになるとは、どう冷静に考えてもイメージできないが、外国語を教えている学校はいつの間にか大きなビルを建てたりなんかしている。

エクセルやワードを触って半年の人が会社でそれを使いこなして給料をもらうというのも現実的ではないように思う。

上記の事業モデルでいつも不思議に思うことがある。

(実際、ある市のプレゼンで発言もしたことがある)

A市に住む市民100人育成して、その100人がその後A市から転出していったとき、

A市の費用対効果はゼロになるのではなかろうか?という点。

人にお金をつぎ込んでいるので、何一つ市に資産らしきものが残らないという点。

生活困窮者というのは、言い換えれば、生活困窮「状態」なわけで、

生まれて死ぬまで貧乏な人はそんなにおらず、逆に誰でも様々な要因から貧乏な状態になる可能性があるということだと思う。

なので、そういう状態になった市民が利用できるプラットフォームを構築することが原因治療であるし、公費を使ってよりソフト的な資産が残るのではないかと常々考えている。

このような提案は自治体の総論レベルでは概ねOKなのだけど、やはり各論に進むと無慈悲に話が止まってしまう。

ただ、自分個人の仕事としてはそのプラットフォームは小さいながらある自治体で構築できたので、恐らく沖縄県全体として、このプラットフォームに乗らざるを得ない状況になると思う。

人材育成とプラットフォームという点では、もうひとつ以前から考えていることがある。

人材を「人財」と書く会社はとりあえずおいといて(笑)

企業が謳う人材育成は大きく2種類に分けられる。

A 自立(実力の向上)を成長とする企業

B 社内価値への深い理解を成長とする企業

 

Aは個の成長が集団の成長ということだけど、

それだと集団である意味が薄くなってしまう。

また、ガバナンス等の問題もあるので、「経営理念」「経営計画」等、

太い柱で緩やかに縛ることになる。

経営理念は細かいことは書いていないが、重要なことを書いているので、

個の考え方や行動について、会社の方向性と合致しているか、していないかの判断基準になる。

逆の見方をすれば、会社の背骨に沿っていれば、自分のキャリアに拘てって経験を積んだり、勉強をしたりすることができる。

 

Bはまさにプラットフォームである。

Bはアルバイトなどの雇用が多く、入れ替わりが多い業態には適している。

守るべきルールが多いプラットフォームなので、誰が入ってこようが、

ある程度サービスの標準化を保てる。

このプラットフォームはやがてルールを遵守させる必然性を高める方向性になっていき、

やがて価値観の共有にシフトしていく。

経営者はその後、元気の良い「いらっしゃーい!」を態度だけでなく、心から叫んでほしくなるのでそのようになっていくし、現に、セミナーなどで価値共有している企業は誰が入れ替わろうが似たように元気よく「いらっしゃーい!」する人間が常にいる状態になる。

これは当然、業態に拠るものであり、例えばどこかのシンクタンクが常に「いらっしゃーい!」的な雰囲気を出せばおかしくなるし、居酒屋が個々のスタイルで挨拶したら大変なことになる。

でも、育成と業態が合っていない会社は結構多い。