デブ・アゲインスト・デブ
異常なまでの知識を有し、
宇宙・哲学から身近なライフハックまで、
数多のジャンルに精通し、
こぼれ話やウラ話はWikipediaを遥か凌駕する。
なのに無職、っていう人いますよね。
東西問わず医学に精通し、
国が抱える医療保健問題について一家言を持っている。
なのに前歯がない、っていう人いますよね。
僕はそういう人に出会ったとき、強烈に文学を感じます。
僕が昨今の自己啓発的な思考についていけない最も大きな理由は、
無理くり闇に光を当てようとしているところです。
闇があるから文学・音楽・芸術の世界が世の中にはあり、
これは理屈ではないのです。
この世に闇がなかったら、
レッドツェッペリン の「天国への階段」がない世の中だったわけです。
まぁなくても困らないですが、
もしなかったと考えればそれはそれで恐ろしい世の中ですよ。
「文学」は主に飲み屋で遭遇することが多い。
昼呑み屋だと尚その遭遇確率は上昇する。
僕も酒飲みとレッテルを貼られがちですが、
飲み屋に行く行為を
「文学の扉を叩きに行っている」と称してもらいたいと常々思っています。
熱く仕事のことを後輩に語る先輩。
これはよくある風景ですが、
その熱く語る先輩の眉間にニンジンの欠片がくっついている。
首筋に豆腐の破片がくっついている。
食材の一部がどのようにトリッキーなアクションをして、
どのようなアクロバティックな動きを経てそこに存在するのかはわからない。
それは誰もわからない。
※歳を取ると食事中いろんなものが飛び出します。
ただ、言えることはそれが「文学」であるということ。
そこにニンジンや豆腐がない世界はただただ退屈な世界であり、
場合によってはただのパワハラになるのかもしれません。
先日見かけた他人の会話。
太ったサラリーマン二人組。
お互いに結構酔っている。
一人が連れに「デブ」と言い、
言われた連れが「デブに言われたくない!」と怒っていた。
そして返す刀で「お前もデブだろ!」と言っていた。
こんな生産性のない会話があるでしょうか。
闇に光を当てた世界ではこんな会話などないでしょうね。
いわんやこれが文学そのものだと思います。