昭和の営業

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石垣島に行った際に必ず寄る飲み屋さんがある。

客の構成はざっと見て、

観光客3割

地元の自由な感じの人たち(主に移住者)3割

その他3割

営業っぽい人1割といったところ。

その場で見るからなのか、

営業の人たちがなぜか悲しく見える。

僕もスーツを着て普通に営業の人間なので言える立場ではないが、

周りとのコントラストのせいか、

やはり悲しく見えてしまう。

営業という仕事でそこはかとなく悲哀を漂わせている人は少なくない。

コールセンターのSVレベルの人たちが、

必要以上に謙りすぎる癖がつくのと同様、

「買ってもらう」という行為をずっと続けていると悲哀が出ても仕方ない気がしないでもない。

昔の考え方で言えば、営業というものは、

①分母をひたすら多くする(下手な鉄砲ナントカ)

②とにかくクロージングをする(契約取ってこい)

③目標数字をあげる(マネジメントではなくヒマな上司のための「仕事のための仕事」)

というところが守備範囲だった。

「クロージングをしたら次に行け」

という感じなのでクロージングマシーンと化すしかない。

ユーザーがハンコを押すのを血眼になって見届けるのが昭和の営業。

 

以前、こちらがユーザ側の立場だったときの話。

仕事を依頼したら対応が素晴らしかったので、

その後も引き続き仕事の依頼をした会社があった。

打ち合わせは現場の人とするのだが、

契約前は担当営業という人と打ち合わせをする。

それはその組織の体制だから仕方ないのだろうが、

その役割分担はこちら側(ユーザ側)との関係性を良くはしなかった。

事務的だから、ということではない。

仕事は現場の人とするわけだから、関係性はどんどん密になっていく。

(現場の人が無能だったら悪くなる)

しかし、今後の仕事の話になると、営業担当が出てきて、

その人と話をしないといけない。

そうなると、ユーザ側からその営業担当に対して次第に、

「なんなんだコイツ」と思い始める。

仕事の内容も完全には理解していないのに、

契約のときだけ現れる。

現場からフィードバックを受けているとはいえもはや代打感が出ている。

「こんなんでは良好な関係になれないと思うし、お宅も効率悪いと思うけど」

「そうなんですけどね、会社の都合で・・・」

かわいそうである。

そりゃあ居酒屋で悲しさがにじみ出るのも仕方ない話である。

 

現代の営業は違う。

契約を取れたということはチャンスをもらったということで、

その期間中に最大限のサービスを施し、

「この会社以外は論外だ」と思わせるくらいのパフォーマンスを発揮しないといけない。

契約というのは相手に「託す」という意味であるということを理解しければならない。

「託す」と「試す」はニアリーイコールなのである。

それを持って自分なりに常に大事にしていることは以下の通り。

※結構偉そうなことを書いているが個人の知見で嘘はありません

 

①営業もプロになれ

商社の営業マンを見るといつも感心する。

彼らは何百ものアイテムを栄枯盛衰の中で淘汰され、また生まれたてのものまで、

全てに関して熟知している。

勉強をしているということがすぐに理解できる。

「あーちょっとそこ解らないんでSEに聞いて連絡します」

というセリフはあまり聞かない。

昭和の営業は情熱しかないので、

「わからないですが、御社のために精一杯頑張ります!」

とでも言うのだろうが、

ユーザからしたら迷惑で鬱陶しいだけだ。

ユーザは高い専門性を欲して相談しているのに、

自分と同レベルの素人に頑張ると言われてもざわつくだけある。

 

②無理くり好かれようとするな

正直言って、人間の好き嫌いでモノを買うのは、

60歳以上の余裕はあるけどちょっと淋しがりやの経営者だけである。

しかも、営業の人柄を買うというより、

その営業マンと自分の関係性に価値を見出しているである。

勉強をしない営業は永遠に自信を持たない。

下の上の営業マンは相手に取り入るために策略を立てる。(人脈とかコネとか)

下の下の営業マンはひたすら相手を褒める。

とにかく褒めれば好かれると思って頑張る。

頑張り方がそれしか知らないのである。

好かれるに越したことはないが、

相手に感動を与えれば嫌われることはないし、

信頼は得られるわけだからそこに注力すればよい。

そのためには①が必須になる。

 

①②ができなくて営業を名乗っているのであれば、

それは完全に昭和の営業である。