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本棚には「成りあがり」一冊あれば良い④

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話をしていると、

「君の考え方は間違っている」

と言う人がいる。

結構いる。

僕はそういった人達を「神」と呼んでいる。

間違っていると迷いなく言えることは凄い。

”間違ったことを考えている人”に対し、

その人のバックボーンからなにから一旦捨てろと言っているようなもので、

それはもう、神の発言としか思えないからである。

それに対して、

「君の考えには賛同できない」

「君の考えはおかしいと思う」

等、主観で言う人は凡人ということになる。

僕は完全に凡人である。

まぁ僕がどこかの宗教に入信していたら神の発言をするんだろう。

ついでに勧誘も。

とかく人は自分を形成したなにかに動かされている。

それが宗教であったり、まさに自分の歴史、経験そのものであったり。

成功者も犯罪者もそういった意味では一緒なのである。

 

”いつもオレたちが見てる金持ちの鉄工所の倅がいた。意地の悪いやつだったなあ。

甘えん坊でさ、オレたちから見ればうらやましい存在だった。

そいつが、デコレーションケーキを持ってなめながらきた。

それ、食いたかったな。おいしそうなクリームがついていた。

「永吉、今日はクリスマスイヴだけど、おまえの家はこういうの食えないだろう」

オレは黙って見てた。

「欲しいか。ちょっとなめさしてやろうか」

「うんなめさして!なめさして!」とオレは言った。

そいつは「そうかなめたいか」と言って、パッとちぎってくれた。

そこまではよかった。

彼は、さも食べ飽きたという顔してるわけ。

そのケーキを、ちぎって・・・・・。オレに投げた。ポンと。

頬っぺたに、ベチャっとくっついた。

その時、オレがどうしたと思う?「てめえ、この野郎」と殴りかかる?

いや、違う。世の中って劇画じゃないんだ。

(中略)落ちないでくれ、落ちないでくれさえすれば、

あいつがいなくなってからなめられる。

そいつが横を向いているときに、舌をのばしてなめた。

その頃から「誰よりも金持ちになってやる」って気持ちが強力になってた。

怖いことだ。そんな小さなガキが、考えることじゃない。

いまが戦国時代だったら天下取っちゃくと思う。

そういう背景を持ったガキが。

暗黒街だってトコトンいっちゃうね、こういう性格は・・・・。

怖い。”

 

その後、この倅の鉄工所は倒産し、悲惨な末路を歩むことになるが、

ザマミロと思う反面、虚しさに包まれる永吉。

この頃から、自分の代で勝負を掛けるという意識が強かった永吉は、

裕福な家庭の子に対し、

「親父の代では負けたが、子の代では負けない」

という、凄まじいばかりのネガティブパワーを蓄積していく。

さて、こんな子に「ネガティブな感情は幸せになれないよ」と言えるだろうか。

どうしてこんな考え方をするまに至ったか、に目を向けることが必要なのではないか。

 

その後、キャロルで成功した矢沢をその倅が訪ねてくる。

矢沢は椅子に座ったまま、その倅に対しぞんさいな対応を取り、

その場限りの優越感に浸るが・・・

 

”すごい虚しさがあった。勝った、という感じじゃない。

「いまに見てろ」って気持ちが薄らいで、全部虚しさに変わってた。

あれは何なんだろう、と自分で思った。

キザな言い方だけど、これ、人生なんだろうなあ。

いいんだよ。オレは勝ってきた。

一個ずつ、一歩ずつ勝ってきた。

それがもしかすると、オレを孤独にしていくかもしれない。でも、いい。”

 

今後出てくるが、まさに永吉は成功するまでずっと勝負をかけてきた。

そして勝ってきた。

それだけが彼の唯一の矜持になるのだが、

目指すものを得るために失くすことがあることを彼は充分覚悟していた、

というより、選択の余地すら持たなかった。成功するために。

さて、人生の中で勝負したことはあるだろうか。

ギャンブルではなく、人生の目標にぶれることなく突き進む勝負。

得るために手段を選ばない、不要と思ったことは情に流されず切り捨てる。

サラリーマンの世界は真逆である。

目標は組織が決めることなので当然である。

そして、生活のため一生懸命、自分の持ち場で働くのだが、

次第に、自分自身の人生を見つめなおしていく。

自分の目標ってなんだろう。自分はこのように生きたかったんだろうか。

40歳前後になると、この先の人生が見えてしまう。

上司に好かれて出世するしか好転の道はない。

結果を出すにはもう遅すぎる。

40前後は転職してやり直す最後のチャンスなので会社を辞める人間が多い。

自分の人生は自分で作り上げるものであるという、

当たり前のことを40歳にして気づくのである。

永吉はそれを小学校低学年の頃から分かっていたのだが、

それはあまりに悲しい環境が生んだ子供なりのひとつの逃げ場だったと言える。

普通の子であれば社会からドロップアウトするパターンがほとんどだが、

なぜ、永吉はドロップアウトしなかったのか。

は次回。