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本棚には「成りあがり」一冊あれば良い③

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あるとき、

「子どもの頃は先生が成績をつけてくれる。しかし大人になるとどうか?

上司が成績をつけるんなら媚びればよいけど、それは客観的な評価か?

大人の成績を客観的に測るひとつの尺度としては給料の金額だ」

と言ったら、その場に居合わせた人間数人が猛反発してきた、ということがある。

では、他に”客観的”な評価ってなにがあるのか訊いてみたら、

”家族の笑顔”とか、”仕事の達成感”と言ってきた。

いやだからそれは主観なの。

自分の心持ちひとつでどうにかなるわけ。

で、客観的に見れるのって何よ?

一同・・・・・

この時思った。

東京からビジネスで会う人と沖縄の青年の明らかな違いがなんなのか、

ずーっとわからないままでいたのが、

スコーンと「あぁこれか!」と言うのがズバリわかった。

つまり、客観的なものは要らない、ということなんだと。

かっこよく言えば、今を生きている。と言えるが、

自分のキャリアをいかに伸ばすかという考えは希薄であり、

悪く言えば向上心がない。

向上しようとか自分のキャリアに目線を向ければ周りから刺される空気というものが沖縄にはあるなと思った。

この文章を読んでも、勝手に自分が傷つけられていると思う内向きの人間は多いと思う。

傷つけられることばかりに注意が行っているヤツは本当に多い。

極論だが、

上昇志向がない→嫁から呆れられる→夫婦仲悪化→DVが一番多い県

となっている気がしないでもない。

自分の人生なんだから、自分で頑張ろうね。

「成りあがり」の主題は、図らずもそのようになっている。

 

”どうすればアメがなめられるのか。

いや、それどころじゃない。

どうしたら腹いっぱいメシが食えるのかってことばかり考えてたよ。

小学校の可愛い盛りの子供が、そんなことばかり考えるなんて、異常だよ。

そう思いません?

単にそいつの家が貧乏だからって済ませちゃうんじゃ、あまりにも差別だよ。

でも、現にオレの背景はそれなんだ。”

 

矢沢永吉は金を稼ぐことが成功だとは思っていない。

しかし、「世の中金ではない」というキレイ事を忌み嫌う。

それはやはり自分のバックボーンにあるということを自分自身で理解しており、

ある意味、この思考回路は仕方ないと思っている。

諦めと自己肯定。

自虐と自尊心。

 

”でも、そういう「金で買えないもの」って言い方には、すごく抵抗があるんだ。

金があれば、二兆円ぐらい持ってたら、京王プラザなんかでも買える。

でも言われるだろう。「彼はきっと孤独なんだ」

うん、孤独かもわかんない。オレ、進んで孤独になる。

オレにはそっちの孤独の方がいいから。

長屋の孤独、嫌いだもん。大邸宅の孤独を選ぶ。

もうごめんだよ。長屋の孤独は・・・。”

 

圧倒的貧乏(カイジ風)を経験し、そこから光を求めて努力した矢沢永吉

真似しようにも真似しようがない生き方であり、

まるっきり参考にはならないが、

自分の闇の部分も全て受け入れているように思える。

そして言葉には一遍の嘘も感じない。

白々しさも感じない。

これは全編通じて言えることである。

 

”・・・ほんとは銭じゃないのよ。

ほんとは銭じゃない。オレに、こんなに銭だって思わせた何かに腹立ってる。

そう思わせて二十八年間やってこさせた何か。

ホント、悲しい、実は。”

 

・・・まだ28歳かい!

とツッコむのはおいといて、

手に入れたいものを手に入れるとそこで意味をなさなくなることも多々ある。

ということを深く実感させる言葉である。

 

劣悪な家庭環境にある子供は概ねグレる。

同じ境遇同士でファミリーを作って孤独な心を埋める。

ヤンキーがグループになるのはそういった理由がある。

ヤクザの世界でもわかるように、

他人と親子や兄弟になり、それが肉親よりも強い絆としている。

僕も「仁義なき戦い」のお正月のシーンなどを見ると、

ふわっと、「あぁ楽しそうだな」と思ってしまうくらいである。

今年、山口組の餅つき大会のニュースを見てほっこりしてしまったくらいである。

矢沢永吉という人は”グレる”という既定路線からは少し離れたようで、

それはあまりにも劣悪な環境だったことが起因しているのでは思われる。

人間はあまりに辛いと現実逃避で妄想に走ることがあるという。

 

”学校、嫌いだったな。ずっと好きじゃなかった。

勉強はいやだったし、いつも窓の外を見て、ぼんやり考え事をしてるのが楽しかった。

あの庭に円盤が降りてきて、宇宙人が出てきたらどうしようか。

やっぱり、握手して乗せてもらうかとか・・・。”

 

自己肯定は難しいが、自分を何かに仕立てて肯定することは難しくはないと思う。

ただ、そこまで思い込めるかということ自体が普通、無理なのだが、

矢沢永吉の幼少期の現実逃避癖が後のスーパースターである矢沢永吉を創ったのではないだろうか。

自分を売り込むのではなく、自分の中の自分をプロデュースして売り込む、

という感覚はその後の回想録でもよくわかる描写が多数出てくる。

 

つづく