本棚には「成りあがり」一冊あれば良い②

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昨夜、武井壮の幼少時代の話がテレビで流れていた。

物心ついたときには父子家庭、その後、父は別で家庭を築き、

武井は兄と2人でアパート暮らしをしていたそうだ。

父親は子どもふたりに生活費だけを払っていたという。

今なら逮捕案件である。

ネグレクトであり、映画「誰も知らない」である。

テレビでは武井壮が自分の哲学のようなことをたくさん話していた。

テレビを観ながら、そんな武井壮矢沢永吉と全く同じだ、というふうに思った。

図らずも、また、悲しいことに、子どもの頃に独立心が育ち過ぎると、

異様なまでに自分を俯瞰するようだ。

他人との交わりなどではなく、自分に対してのみ大きな感心が行くというか、

自分を他人のように育てていくような考え方・・・。

独立心こそが生きていくための支えになっていた、

生き方そのものだったんじゃないかと思える。

不憫過ぎて見てられないと思っていたが、

誰しも事の大小あれど、人生の中で不幸だった時期もあるはずだ。

問題は、それらに引きずり込まれていないというところである。

矢沢永吉は、

「オレは悲しみのヒーローだったかもしれないがイジケのヒーローではなかった」

と言った。

それは武井壮と同じマインドのように思える。

しかしそれらは、よくある「ポジティブに行きようね〜」

「明けない夜はないよ〜」「負けないこと逃げ出さないこと(後略)」

のような中身空っぽのキャッチーな教義めいた腐りかけたお土産品のペナントみたいなものではなく、

まさに「自分自身のため」である。

そういって頑張る人たちは、成功すれば僻まれることになる。

「あの人、自分のことしか考えてない」

と言われるのである。

世の中は難しい・・・

永吉は小学校低学年から祖母との暮らしを始める。

祖母は今で言うシルバー人材センターのようなところからたまに仕事を請けるくらいで、当然、ド貧乏な暮らしである。

”少しずつ四年生、五年生になってわかるわけだよ。

そう、家は貧乏なんだ、と。おばあちゃんに、あの頃、いつも言ってた。

「おばあちゃん、おもしろくない」

これが口癖だった。おもしろくない。なんで。こればっかり言ってたみたい。

おばあちゃん、そうすると「おもしろいとこ行け」って、

たまに涙浮かべてた時もあったな。”

祖母は息子たちの援助を全く受けずに生きていたそうだ。

永吉はその祖母の姿に「自立すること」が重要であると少しずつ考えるようになる。

貧乏を嘆くのではなく、どうやったらより良く生きられるか。

こんな子ども・・・絶対なにやっても成功するよね!(笑)

そして、暗闇ではなく小さな灯火に喜びを見出す。

子どものくせに達観してしまう永吉。

”朝起きると、おばあちゃんが釜のところで木くべて、

ごはん炊いてる音が、コトコトコトコト聞こえるわけよ。

お母さんという感じじゃないけどさ。

「永吉。起きよ」

その声がうれしくてね、むくっと起きるの。

そうするとオレは、新聞を敷くわけ。

新聞紙をパッと敷いて正座して待ってる。

「ほーれ、ご飯食え」

と、ごはん、パッとくれる。

おかずは、必ず、一品料理というか、ごはんと何かひとつ。

その何かというのは味噌汁かもわかんない。

コロッケかもわかんない。ひと品。(中略)

もっとオカズにしたい場合は、醤油をちょっと足すとかね。

それ、おいしいおいしいと食べるからおばあちゃんはそれをメインにするわけ。”

日々の生活にありがたさを感じる永吉。

しかし、子どもなりに他所と自分が違うということを感じさせられることもあります。

 

”「おばあちゃん、オレ誕生日なんだ」

「それがどうした」

わかるだろ?関係ないわけよ。そんな誕生日なんて。

でも、さすがよ。おばあちゃんがオレにしてくれたことは。

卵をふたつにしてくれた、その日だけ。

卵の買い方。オレよく覚えてる。

「おまえ、永吉、好きな卵買ってこい」と言われたことがある。

十三円とか十二円とか、一円違うだけで大きいのよ。

それ一個選ぶの。で、誕生日はふたつ。

「あ、おばあちゃん、今日は卵がふたつ入ってる」

「そうだよ。誕生日だからね。卵と思って食うな。ニワトリ2羽殺してくれたと思え」と言うんだよ。

とてもうれしかったよ。ニワトリの元って、卵だもんね。

そういう朝飯だったな、オレたち。”

 

えーっとすみません、ティッシュ箱ごとください!