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ノックと愛

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野球のノックって大人の世界でもある意味縮図のようだなーと思うことがある。

遠い昔、僕は野球少年だった。

少年野球を通して色々なことを学んだが、

今振り返って最も印象が深いのはノックだろうと思う。

 

ノックはいい。

ノックには独特なコミュニケーションが隠されている。

ノックを打つ大人とノックを受ける子供の間にはそこにしかないコミュニケーションがある。

ノックが優しい人、ノックが厳しい人。

しかし優しい厳しいは無関係。

理屈ではなくノックを受けながらその人柄が伝わってくるという超感覚。

野球はチームスポーツだが、ノックは1対1である。

ノッカーが優しかろうが厳しかろうが同じように得も言われぬ愛を感じる。

ノックは愛そのものであるが、その時はそれを自分の中で意識しない。

小学生だから当たり前である。

大人になって振り返り、あの時の感覚は愛だったんだなと思い出すものである。

「上手くなってほしい」という思いと、

「上手くなりたい」という関係性がそこにあったからである。

重要なことは、なぜそういう関係性ができたかということだが、

それは単純な話で、「チームが強くなりたい・勝ちたい」という共通項があるというだけの話である。

 

しかしながら、大人になるとそういった”関係性”の大切さがわからない輩と接する機会も増えてしまう。

数年前、「君は酒の飲み方が分かってないからオレが教えてやる」

なかなか居丈高な感じである人に言われたことがある。

その時は「酒の飲み方を習う必要があれば、自分が習いたいと思う人から教えてもらうから結構」と断った。

その人とはなんの関係性も構築されていなかったから当然の返答だと思っている。

しかしながら、しがらみに生きているとそう簡単に断れるものでもないし、そういうのを”なんとかハラ”って言うんだろうが、無理して「ありがとうございます!」って

その居丈高のなんとかハラに巻き込まれて行くんだろう。

(頑張れな若い人)

 

ノックをコミュニケーションツールとして考えた場合、

「ノックで人間関係を築こう!」と言うことにもなるだろう。

前後関係を無視してツールで気づきを得る。

これをワークショップという。

ワークショップは使い方次第では大きな効果、重要な気づきを得ることは可能だが、

どうだろう。

概ねただただやっているのがほとんどじゃないだろうか。

これを予定調和という。

まず、目標・目的が共通しないのをどうやって関係性を作るというのか。

繰り返しになるがなぜノックに効果があるかといえば、

共通項があるという大前提の上に立っているからである。

 

最近はそういったツールで気づきを得よう系が多い。

それはそれで大事なことだろうし、一切否定はしないが、

関係性を無視してそういったことをするよりは、

無理やりひれ伏せさせてパワーで関係性を構築したほうが効果は高いと思う。

どうせやるなら論で且つ、仮想空間という前提においてであれば。

(これもなんとかハラにはなるけど)

ただ、若い人でそんなパワーを持っている無頼漢みたいな講師とかコーチがいるんだろうか。

あら、話の着地点が予定と変わってしまった。

まぁいいか。