冷静に考えてみたら20年前の沖縄ってひどかったナァ

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写真の工具は”ラチェットレンチ”と言います。

通称”ラチェット”

20数年前に僕は電話工事の仕事をしていましたが、

その会社の先輩がこの工具のことを、

 

「ダゼット」

 

と言ってましたので、

僕も必然的に「ダゼット」と言うし、

周りもそれに従って「ダゼット」と言います。

ある意味、完全にパンデミックですね。

1年近く、ラチェットをダゼットと言っていたわけですから、

しかも・・・場合によってはドヤ顔で、

「ほら、ここをダゼットでよく締めないと」

言ってたかも・・・あぁ恥ずかしい。

その頃の先輩方はなかなか凄かった。

「あの●●さん、今では大分丸くなっているけど、昔は平気でペンチを人に投げてきたらしいよ」

何度このようなセリフを聞いたことか。

「口より先に手が出るタイプ」など、慣用句的に言ってもらえば流せますが、

ペンチを投げるっていう話になると、こちらも、

ツーシームかフォーシームかでペンチの軌道が・・・」

と思わず考え込んでしまいます。

「こんなペーペーにペンチ投げないでありがとうございます!」

とお礼を言うわけにもいきません。

が、実際お礼と言っている人間もいましたけどね(笑)

建設業界同様、我々の業界も大手と下請けとしっかり分かれていました。

当時の大手にいた沖縄のベテラン勢にはかなり癖のある人が多かったですね。

定年間際くらいの人たち。

(方言で)下請けの僕らに向かって「お前ら誰のおかげでメシ食えてると思ってるのか!」

元請・下請・昭和の風景。ノスタルジー・・・

「それはあなたではなくあなたの組織」

と言ってはいけません。

下請けは一生懸命なだめすかせて取り入らないと行けないのです。

「またぁ先輩〜」「先輩頼みますよ〜」

必須ワードです。

サラリーマンってのはつらいなぁと何度も思いました。

 

その頃、時代は”下請会社”を”協力会社”と呼ぶ風潮になりかけでした。

言葉が違うだけで商流は一緒なんですが、

あからさまなイメージは業界全体に悪い風潮を生むよね的なものだったんでしょう。

 

そして今ではすっかりマッチョ志向の業界人が減りました。

(減っただけで、いなくなってはいない)

 

大体は本土から課長がきて、社会人としてのリテラシーというか、

ビジネスのお作法を現場に浸透させていくというように見ていました。

 

ある日、その若い課長が朝礼で、

「電気をこまめに消しましょう」

と言ったら、ひとりのベテランが、

「消していくら削減になるのか証拠を出せ!」

と課長につっかかっていました。

 

「おーここに戦士が」

と苦笑いせずにはいられませんでしたね。

自分では威張り散らしてなにもしないのに被害者意識だけ異常に高い年配者が

沢山いましたね。

 

最近ではあんな感じの年配者がすっかりいなくなったなと思います。

単に自分がその年代に近づいていっているだけという説もありますが。

 

 

 

 

 

 

人生で一回だけ怒鳴ったときの話

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人生の中で腹の底から怒鳴ったことってありますか?

(子供に対してと自己啓発セミナー除く)

案外ないですよね、怒鳴ることなんて。

 

僕は3年ほど前に初めて怒鳴りました。

知らない人にです。

 

会社の後輩であるM田くんと焼鳥屋さんでいつものように飲んでいて、

その後、お知り合いが経営するバーへ移動しました。

そこで数杯飲んで、タクシーを呼んでもらい、

再度、先程までいた焼鳥屋さんまで戻りました。

よく覚えていないのですが、翌日なんらかの支払いがあり、

僕の財布には20万円ほどの現金が入っていました。

「大金があるので財布をなくしてはいかん」

引き寄せの法則なのかマーフィーの法則なのかわかりませんが、

結局、そのタクシーに財布を忘れてしまいました。(泣)

タクシーが走り去るその瞬間に財布を落としたことに気づき、

「ヘイ!タクシー」と声を発するまでもなく、タクシーはブーンと行ってしましました。

”焦る僕 ほどける手 離れてく君”

そんなスキマスイッチ的な感傷に浸る間もなく、

慌ててさきほどまでいたバーの店主へ松Dくんが電話をかけてくれました。

数分後、そのタクシーへ連絡がつき、こちらまで持ってきてくれることになりました。

それまでの時間は概ね5分くらい。

助かったーと思いながらM田くんとそのタクシーを待ちました。

さらにそこから5分ほどしてタクシーが到着。

僕は運転手さんにお礼として、3,000円を渡しました。

トータル10分くらいなのでお礼はそれくらいでいいかなと個人的には思ったんですが、

どうやらそれが間違いだったようで・・・。

助手席のドアを開け、お礼をして行こうと思ったら、

運転手さんがこう言いました。

運「さっき本土から来た若者を乗せたが、彼らが財布を見つけて、中身を見ていましたよ!」

僕「あぁすみません〜」

運「財布の中身を見て、ああいっぱい現金入ってるって言ってたんですよ!」

僕「あぁ本当に申し訳ないです」

運「一瞬、彼らが財布から現金を抜いたけど僕が戻させたんですよ!」

僕「・・・はぁ、それはありがとうございます」

このあたりで3,000円では少ないということをこの運転手さんは言いたいのかなと思いましたが、じゃあいくらならいいのかという各論には、この流れからはなかなか行けません。

運「彼らはお金に困ってたみたいなので云々・・・!」

段々、ストーリーが出来上がっていくこの空気。

このままこの話を続けても後は、「不治の病」とか「リーマンショック」等、

色々なストーリーが出てきそうだなと思って固まってしまいました。

その時、松田くんがそっと助手席のドアを閉めてくれました。

「松田GJ!」

と僕が思った矢先、

今度は後部座席のドアが開いて、運転手さんが、

「本当は彼らは〜云々」とまた言い始めた時・・・。

 

「しつこいんだよ!」

 

とついに僕は怒鳴りました。

 

元々メタルバンドのヴォーカルであり、

大謝名のジェフ・テイトと呼ばれていた僕です。

声量は、それはもう地域に響き渡ります。

犬もワンワン言います。

小鳥たちもバサバサ言ったかもわかりません。

その後が衝撃でした。

運転手さんはニヤっと笑って走り去っていったのです。

川端康成の「化粧」という短編がありますが、

自分ちのトイレの窓が火葬場の裏側に面していて、

ちょうど、トイレから泣きじゃくっている女が見えます。

散々泣きじゃくった後、

 

”彼女だけは、隠れて化粧に来たのではあるまい。

隠れて泣きにに来たのにちがひない。

その窓が私が植えつけた女への悪意が、

彼女によつてきれいに拭い取られていくのを感じてゐると、

その時全く思ひがけなく、彼女は小さひ鏡を持ち出し、

鏡ににいつと(ニィっと)ひとつ笑ふと、

ひらりと厠を出ていってしまった。

私は水を浴びたやうな驚きで、危うく叫び出すところだつだ。

私には謎の笑いである。”(川端康成「化粧」)

 

全くそれと同じようにタクシー運転手の笑いが僕にとつても謎だったのです。

 

 

 

本棚には「成りあがり」一冊あれば良い③

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あるとき、

「子どもの頃は先生が成績をつけてくれる。しかし大人になるとどうか?

上司が成績をつけるんなら媚びればよいけど、それは客観的な評価か?

大人の成績を客観的に測るひとつの尺度としては給料の金額だ」

と言ったら、その場に居合わせた人間数人が猛反発してきた、ということがある。

では、他に”客観的”な評価ってなにがあるのか訊いてみたら、

”家族の笑顔”とか、”仕事の達成感”と言ってきた。

いやだからそれは主観なの。

自分の心持ちひとつでどうにかなるわけ。

で、客観的に見れるのって何よ?

一同・・・・・

この時思った。

東京からビジネスで会う人と沖縄の青年の明らかな違いがなんなのか、

ずーっとわからないままでいたのが、

スコーンと「あぁこれか!」と言うのがズバリわかった。

つまり、客観的なものは要らない、ということなんだと。

かっこよく言えば、今を生きている。と言えるが、

自分のキャリアをいかに伸ばすかという考えは希薄であり、

悪く言えば向上心がない。

向上しようとか自分のキャリアに目線を向ければ周りから刺される空気というものが沖縄にはあるなと思った。

この文章を読んでも、勝手に自分が傷つけられていると思う内向きの人間は多いと思う。

傷つけられることばかりに注意が行っているヤツは本当に多い。

極論だが、

上昇志向がない→嫁から呆れられる→夫婦仲悪化→DVが一番多い県

となっている気がしないでもない。

自分の人生なんだから、自分で頑張ろうね。

「成りあがり」の主題は、図らずもそのようになっている。

 

”どうすればアメがなめられるのか。

いや、それどころじゃない。

どうしたら腹いっぱいメシが食えるのかってことばかり考えてたよ。

小学校の可愛い盛りの子供が、そんなことばかり考えるなんて、異常だよ。

そう思いません?

単にそいつの家が貧乏だからって済ませちゃうんじゃ、あまりにも差別だよ。

でも、現にオレの背景はそれなんだ。”

 

矢沢永吉は金を稼ぐことが成功だとは思っていない。

しかし、「世の中金ではない」というキレイ事を忌み嫌う。

それはやはり自分のバックボーンにあるということを自分自身で理解しており、

ある意味、この思考回路は仕方ないと思っている。

諦めと自己肯定。

自虐と自尊心。

 

”でも、そういう「金で買えないもの」って言い方には、すごく抵抗があるんだ。

金があれば、二兆円ぐらい持ってたら、京王プラザなんかでも買える。

でも言われるだろう。「彼はきっと孤独なんだ」

うん、孤独かもわかんない。オレ、進んで孤独になる。

オレにはそっちの孤独の方がいいから。

長屋の孤独、嫌いだもん。大邸宅の孤独を選ぶ。

もうごめんだよ。長屋の孤独は・・・。”

 

圧倒的貧乏(カイジ風)を経験し、そこから光を求めて努力した矢沢永吉

真似しようにも真似しようがない生き方であり、

まるっきり参考にはならないが、

自分の闇の部分も全て受け入れているように思える。

そして言葉には一遍の嘘も感じない。

白々しさも感じない。

これは全編通じて言えることである。

 

”・・・ほんとは銭じゃないのよ。

ほんとは銭じゃない。オレに、こんなに銭だって思わせた何かに腹立ってる。

そう思わせて二十八年間やってこさせた何か。

ホント、悲しい、実は。”

 

・・・まだ28歳かい!

とツッコむのはおいといて、

手に入れたいものを手に入れるとそこで意味をなさなくなることも多々ある。

ということを深く実感させる言葉である。

 

劣悪な家庭環境にある子供は概ねグレる。

同じ境遇同士でファミリーを作って孤独な心を埋める。

ヤンキーがグループになるのはそういった理由がある。

ヤクザの世界でもわかるように、

他人と親子や兄弟になり、それが肉親よりも強い絆としている。

僕も「仁義なき戦い」のお正月のシーンなどを見ると、

ふわっと、「あぁ楽しそうだな」と思ってしまうくらいである。

今年、山口組の餅つき大会のニュースを見てほっこりしてしまったくらいである。

矢沢永吉という人は”グレる”という既定路線からは少し離れたようで、

それはあまりにも劣悪な環境だったことが起因しているのでは思われる。

人間はあまりに辛いと現実逃避で妄想に走ることがあるという。

 

”学校、嫌いだったな。ずっと好きじゃなかった。

勉強はいやだったし、いつも窓の外を見て、ぼんやり考え事をしてるのが楽しかった。

あの庭に円盤が降りてきて、宇宙人が出てきたらどうしようか。

やっぱり、握手して乗せてもらうかとか・・・。”

 

自己肯定は難しいが、自分を何かに仕立てて肯定することは難しくはないと思う。

ただ、そこまで思い込めるかということ自体が普通、無理なのだが、

矢沢永吉の幼少期の現実逃避癖が後のスーパースターである矢沢永吉を創ったのではないだろうか。

自分を売り込むのではなく、自分の中の自分をプロデュースして売り込む、

という感覚はその後の回想録でもよくわかる描写が多数出てくる。

 

つづく

 

 

 

 

 

本棚には「成りあがり」一冊あれば良い②

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昨夜、武井壮の幼少時代の話がテレビで流れていた。

物心ついたときには父子家庭、その後、父は別で家庭を築き、

武井は兄と2人でアパート暮らしをしていたそうだ。

父親は子どもふたりに生活費だけを払っていたという。

今なら逮捕案件である。

ネグレクトであり、映画「誰も知らない」である。

テレビでは武井壮が自分の哲学のようなことをたくさん話していた。

テレビを観ながら、そんな武井壮矢沢永吉と全く同じだ、というふうに思った。

図らずも、また、悲しいことに、子どもの頃に独立心が育ち過ぎると、

異様なまでに自分を俯瞰するようだ。

他人との交わりなどではなく、自分に対してのみ大きな感心が行くというか、

自分を他人のように育てていくような考え方・・・。

独立心こそが生きていくための支えになっていた、

生き方そのものだったんじゃないかと思える。

不憫過ぎて見てられないと思っていたが、

誰しも事の大小あれど、人生の中で不幸だった時期もあるはずだ。

問題は、それらに引きずり込まれていないというところである。

矢沢永吉は、

「オレは悲しみのヒーローだったかもしれないがイジケのヒーローではなかった」

と言った。

それは武井壮と同じマインドのように思える。

しかしそれらは、よくある「ポジティブに行きようね〜」

「明けない夜はないよ〜」「負けないこと逃げ出さないこと(後略)」

のような中身空っぽのキャッチーな教義めいた腐りかけたお土産品のペナントみたいなものではなく、

まさに「自分自身のため」である。

そういって頑張る人たちは、成功すれば僻まれることになる。

「あの人、自分のことしか考えてない」

と言われるのである。

世の中は難しい・・・

永吉は小学校低学年から祖母との暮らしを始める。

祖母は今で言うシルバー人材センターのようなところからたまに仕事を請けるくらいで、当然、ド貧乏な暮らしである。

”少しずつ四年生、五年生になってわかるわけだよ。

そう、家は貧乏なんだ、と。おばあちゃんに、あの頃、いつも言ってた。

「おばあちゃん、おもしろくない」

これが口癖だった。おもしろくない。なんで。こればっかり言ってたみたい。

おばあちゃん、そうすると「おもしろいとこ行け」って、

たまに涙浮かべてた時もあったな。”

祖母は息子たちの援助を全く受けずに生きていたそうだ。

永吉はその祖母の姿に「自立すること」が重要であると少しずつ考えるようになる。

貧乏を嘆くのではなく、どうやったらより良く生きられるか。

こんな子ども・・・絶対なにやっても成功するよね!(笑)

そして、暗闇ではなく小さな灯火に喜びを見出す。

子どものくせに達観してしまう永吉。

”朝起きると、おばあちゃんが釜のところで木くべて、

ごはん炊いてる音が、コトコトコトコト聞こえるわけよ。

お母さんという感じじゃないけどさ。

「永吉。起きよ」

その声がうれしくてね、むくっと起きるの。

そうするとオレは、新聞を敷くわけ。

新聞紙をパッと敷いて正座して待ってる。

「ほーれ、ご飯食え」

と、ごはん、パッとくれる。

おかずは、必ず、一品料理というか、ごはんと何かひとつ。

その何かというのは味噌汁かもわかんない。

コロッケかもわかんない。ひと品。(中略)

もっとオカズにしたい場合は、醤油をちょっと足すとかね。

それ、おいしいおいしいと食べるからおばあちゃんはそれをメインにするわけ。”

日々の生活にありがたさを感じる永吉。

しかし、子どもなりに他所と自分が違うということを感じさせられることもあります。

 

”「おばあちゃん、オレ誕生日なんだ」

「それがどうした」

わかるだろ?関係ないわけよ。そんな誕生日なんて。

でも、さすがよ。おばあちゃんがオレにしてくれたことは。

卵をふたつにしてくれた、その日だけ。

卵の買い方。オレよく覚えてる。

「おまえ、永吉、好きな卵買ってこい」と言われたことがある。

十三円とか十二円とか、一円違うだけで大きいのよ。

それ一個選ぶの。で、誕生日はふたつ。

「あ、おばあちゃん、今日は卵がふたつ入ってる」

「そうだよ。誕生日だからね。卵と思って食うな。ニワトリ2羽殺してくれたと思え」と言うんだよ。

とてもうれしかったよ。ニワトリの元って、卵だもんね。

そういう朝飯だったな、オレたち。”

 

えーっとすみません、ティッシュ箱ごとください!

 

 

 

 

本棚には「成りあがり」一冊あれば良い①

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ビジネス書、成功本の類は非常に面白い。

きれいな予定調和で市場が形成されているところがなんといっても面白い。

いわゆる成功本を買う人の心理というのは、

その書物からなにかしらのヒントを得て、

それを教義化して自分自身に落とし込みたい。

つまり、自分も成功したいtooみたいなものだと思う。

書き手側はどうかと言うと、

「いやーあん時そうやって良かったよ、ラッキー♪」

みたいに書くわけにはいかない。

なにかを教義化しないと読む人が困るから。

しかし、そういった教義的なものが入っている本を何百冊と揃えても、

最終的には、

「感謝の心が大事」

というところに行き着く。

そして感謝教の教徒が増えていく。

まぁ感謝すること自体は無害なので、勝手にあちらこちらで感謝していれば良いと思うのだけど、感謝教の人たちは、「あの人は感謝が足らない」とか言い出し始めるので、

そこが非常に厄介ではある。

さて、3年ほど前に矢沢永吉のあの有名な著書(といっても糸井重里によるインタビュー記事なんだけど)「成りあがり」を読んだ。

45歳で初めて読んだというのが良かったのか、

かなり衝撃を受けた。

あれからこの本ばかり読んでいる。

他の本も読むには読むが、

時間があればこの「成りあがり」を読んでいる。

思うに、これはビジネス書であり、生き方のヒントが大いに散りばめられている。

好きすぎて、このブログで訴えられない程度に詳細を紹介したいと思っている。

この本は、矢沢永吉がキャロルで成功し、さらにソロ活動で高額納税者となった28歳の独白である。

(以下本の引用は” ”で囲います)

矢沢永吉の幼少期は花登筺の小説でも見かけないくらい「かわいそう」である。

「かわいそすぎ」である。

永吉3歳の頃に母は蒸発、酒浸りの父と2人で過ごすが、

小2の頃にその父と死別、以後祖母と2人で暮らすこととなる。

”死んだ時、わからなかったね。遺体見ても、泣かなかった。涙、出なかった。正直なところ「あれ、死んだの?」って感じだったものな。(中略)死って、そういうものなのよ。”

当然、極貧生活となるわけだが、子どもって本当につらいとき、全てのものを遮断して、自分の世界に生きるのかなと思う。

”遊びっても、スポーツなんて知らなかったよ。サッカーとか、野球とか全く知らん。打率とか、あれ、わかんなかった。ライト、レフト、セカンド、わかってなかった。オレ、ピッチャーわかった。ピッチャー投げるやつ。キャッチャー、受けるやつ。これは知ってた。グローブって、見たことなかったもん。”

本で言ったら10ページくらいの序章で既に涙が出てきた。

つづく

 

 

 

 

ヨガが怖い

昔からパン屋を営んでいる人が怖い。

特に夫婦で営んでいる場合。

ここで言う恐怖はその人たちから僕が受ける恐怖ではない。

逆に僕がその人に対して悪い影響しか与えないと考えること自体が怖いのだ。

ここにあなたがいないのが淋しいのじゃなくて、

ここにあなたがいないと思うことが淋しい。

何度聞いても意味が解らない。

すいません、話逸れました。

「こだわりの天然酵母で焼いたパン」と言われたら、

なにかそのものだけではなくそこに纏っている世界観を自分がぶち壊す気がして、

思わず逃げてしまう。

なので、ボーダーのシャツに頭に丸いポンポンが付いている帽子をかぶったカップルが

目の前から来ただけで道の反対側へ渡るくらいである。

僕がパンの世界で好きなものってイースト菌くらいです。はい

そうした無添加のパン屋さん以外に苦手な物が最近あります。

それは「ヨガ」です。

正確に言うと、「ヨガ教室に通ってるっぽい雰囲気」ですかね。

あの、正式な名称わからないけど、自分用のマットみたいなやつ、

あれをクルクル巻いて可搬式になってるやつ。

あれを4,5人で持って歩いている集団が向こうから来るとやはり道反対に逃げてしまう。

これは上記のパン屋のパターンと違い、

なんというか、独特の同じ感じに啓蒙された集団が単純に怖いという。

みんな月光浴とかするんだろうな、とか、UAのCDが車にあるんだろうな、

など、完全に偏見の塊で見てしまう。

最近、”SUPヨガ”なる存在を知った。

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内容はずばりSUPの上でヨガをするというもの。

理由はいろいろあって、効果などいろいろ読んだが忘れました。

「陸でだめなの?」というのが最初に浮かんだ思いだけど、

SUPも曲がりなりにも海の乗り物なので、

どうしてもSUPヨガの優雅なイメージより、

海上保安庁とか「海のもしもは118番」などがどうしても先に脳裏をよぎってしまう。

ヨガとパンの人すみません。

仕事で言う”チャレンジ”について

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営業成績が落ち込んだとき、

概ね以下に別れる。

①売れているように粉飾してやり過ごす。

②慌てて既存の取引先に連絡する。(御用聞き)

正直こんなんばっかだと思う。

②は人間の本質のようなもので、

「やるゾ!」と気合を入れても自分の手の届く範囲でしか行動はしない。

人間は楽をしようとする生き物なのでそれはそれで仕方ないのである。

今売上が下がってるということは、1年前にサボっていたという証拠である。

1年前に種を全然撒いていなかった結果である。

今頑張って新規開拓をしても結果は1年後にしか出ないのである。

昔、東北から九州まで電話をかけまくり、商談に行きまくった。

その中の会社と実際に取引もしたし、今でも連絡がある。

中には、会社を移籍したのでこちらに連絡しないようやんわり断っても、

「会社ではなく人と付き合っているから」と熱いことを言ってくれる人もいる。

先日なんか、元同僚から「今、福岡の●●という会社と取引してるよ」

って言われ、「その会社、最初に沖縄に引っ張ってきたのオレだし」

みたいな会話があった。

最近、大阪のある会社にいきなりコンタクトを取った、

老舗の重厚な会社に行こうと考えていたときに、ピッタリの会社だった。

年明けに訪問することになっているが、

なんていうんだろう、まだ一度も会ったことはないのに、

一緒に儲けるイメージしか湧いてこない。

過去にそういう実績があるので簡単にイメージできるんだろうと思う。

”飛び込む”という経験は大事だなーと思うし、

今ではそういうドキドキを楽しめる余裕が出てきた。

こういうスタイルを真似て実践する後輩も出てきたし、

沖縄だからと遠慮せずに全国を市場にするべきだと思う。

ITを扱うのであればなおさらの話である。

営業のチームワークは足かせになっても武器にはならない。

ひとりひとりがチャレンジするしか進む道はなく、

チャレンジとは過去の自分ではできなかった、発想しなかった行動を取ることで、

それは必ず結果になる。

読んだ本ではなく自分でその風景を実際に見ているので間違いない。