ヨガが怖い

昔からパン屋を営んでいる人が怖い。

特に夫婦で営んでいる場合。

ここで言う恐怖はその人たちから僕が受ける恐怖ではない。

逆に僕がその人に対して悪い影響しか与えないと考えること自体が怖いのだ。

ここにあなたがいないのが淋しいのじゃなくて、

ここにあなたがいないと思うことが淋しい。

何度聞いても意味が解らない。

すいません、話逸れました。

「こだわりの天然酵母で焼いたパン」と言われたら、

なにかそのものだけではなくそこに纏っている世界観を自分がぶち壊す気がして、

思わず逃げてしまう。

なので、ボーダーのシャツに頭に丸いポンポンが付いている帽子をかぶったカップルが

目の前から来ただけで道の反対側へ渡るくらいである。

僕がパンの世界で好きなものってイースト菌くらいです。はい

そうした無添加のパン屋さん以外に苦手な物が最近あります。

それは「ヨガ」です。

正確に言うと、「ヨガ教室に通ってるっぽい雰囲気」ですかね。

あの、正式な名称わからないけど、自分用のマットみたいなやつ、

あれをクルクル巻いて可搬式になってるやつ。

あれを4,5人で持って歩いている集団が向こうから来るとやはり道反対に逃げてしまう。

これは上記のパン屋のパターンと違い、

なんというか、独特の同じ感じに啓蒙された集団が単純に怖いという。

みんな月光浴とかするんだろうな、とか、UAのCDが車にあるんだろうな、

など、完全に偏見の塊で見てしまう。

最近、”SUPヨガ”なる存在を知った。

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内容はずばりSUPの上でヨガをするというもの。

理由はいろいろあって、効果などいろいろ読んだが忘れました。

「陸でだめなの?」というのが最初に浮かんだ思いだけど、

SUPも曲がりなりにも海の乗り物なので、

どうしてもSUPヨガの優雅なイメージより、

海上保安庁とか「海のもしもは118番」などがどうしても先に脳裏をよぎってしまう。

ヨガとパンの人すみません。

仕事で言う”チャレンジ”について

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営業成績が落ち込んだとき、

概ね以下に別れる。

①売れているように粉飾してやり過ごす。

②慌てて既存の取引先に連絡する。(御用聞き)

正直こんなんばっかだと思う。

②は人間の本質のようなもので、

「やるゾ!」と気合を入れても自分の手の届く範囲でしか行動はしない。

人間は楽をしようとする生き物なのでそれはそれで仕方ないのである。

今売上が下がってるということは、1年前にサボっていたという証拠である。

1年前に種を全然撒いていなかった結果である。

今頑張って新規開拓をしても結果は1年後にしか出ないのである。

昔、東北から九州まで電話をかけまくり、商談に行きまくった。

その中の会社と実際に取引もしたし、今でも連絡がある。

中には、会社を移籍したのでこちらに連絡しないようやんわり断っても、

「会社ではなく人と付き合っているから」と熱いことを言ってくれる人もいる。

先日なんか、元同僚から「今、福岡の●●という会社と取引してるよ」

って言われ、「その会社、最初に沖縄に引っ張ってきたのオレだし」

みたいな会話があった。

最近、大阪のある会社にいきなりコンタクトを取った、

老舗の重厚な会社に行こうと考えていたときに、ピッタリの会社だった。

年明けに訪問することになっているが、

なんていうんだろう、まだ一度も会ったことはないのに、

一緒に儲けるイメージしか湧いてこない。

過去にそういう実績があるので簡単にイメージできるんだろうと思う。

”飛び込む”という経験は大事だなーと思うし、

今ではそういうドキドキを楽しめる余裕が出てきた。

こういうスタイルを真似て実践する後輩も出てきたし、

沖縄だからと遠慮せずに全国を市場にするべきだと思う。

ITを扱うのであればなおさらの話である。

営業のチームワークは足かせになっても武器にはならない。

ひとりひとりがチャレンジするしか進む道はなく、

チャレンジとは過去の自分ではできなかった、発想しなかった行動を取ることで、

それは必ず結果になる。

読んだ本ではなく自分でその風景を実際に見ているので間違いない。

 

 

霧の浮舟問題

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霧の浮舟というロングセラーチョコレートがある。

本来チョコレートというのは、テンションがあがるものである。

特に昭和世代の我々にとっては永遠にプレミアムな存在である。

いちいちキリマンジャロ的な場所で地元の人が頭上にカゴにカカオを摘んで、

それの時給がどうやら安いみたい、とか考えない。

ましてやそれに引っ張られて、アントニオ猪木がブラジル時代に農園で苦労したことも考えない。

さらには猪木があまりの過酷労働に耐えかねて、醤油を一気飲みして仕事を休もうと考えてたなんて絶対頭に浮かばない。

「醤油を飲むとねフフフ、翌日高熱が出、元気ですかー!フフフ元気があれば醤油も飲める」(アントニオ猪木・談)

 

遠足の前日、リュックに詰めたチョコレートの存在感が遠足そのものを凌駕していた時代。それが昭和。

まさに手段の目的化。

手段の目的化によるさまざまな運用の失敗。

手段の目的化によるKPIの(もういいか)

さて、遙か昔から疑問に思ってしかなたいことがある。

それは”霧の浮舟”のネーミングについてである。

よくわからないが、商品名などは会議かなんかで決まると思う。

ロッテなんて大企業なので、

おそらく、スーツを着た大人20名、北朝鮮の各施設の映像で見るような白衣のアヒルのコックさんみたいな風貌の人が5人、

大体そんな構成に広告代理店の人らが混じってネーミングやらブランディングをするのだと思う。

その上で思う。

なんで”霧の浮舟”という製品名が会議を通ってしまったのか、と。

霧の浮船・・・・

テンションあがるどころか、事件性すら感じるネーミング。

「あっ!浮舟だ」

「お前ちょっと見てこいよ」

「嫌だよ、怖いよ」

海や湖に忽然と浮船があったら誰でもこんな感じになるだろう。

死体がいる確率はそりゃあ桜の木の下の数倍が高いだろう。

なんで霧の浮舟なんだろう。

霧の浮舟は”エアインチョコ”という部類らしい。

昭和生まれなのに格好をつけすぎている感が否めない。

食感がパスパスしているのだから”パスパスしたやつ”でいいんじゃないかと思うのだが、

このパスパスが、あー浮舟の・・・ってならない。

とはいえ、実は筆者はダークなものが大好きなので、

霧の浮舟に関しても大いにやってほしいと思っている。

(なにを大いにやるのかアレだが)

そもそもデスメタル出身デスメタル部屋なもので、

苺のファンシーなデザインの中に悪い予感しかしない浮舟がある世界観が大好きなのである。

皆さんも知っているスウェーデンのドゥーム・メタルバンド”キャンドルマス”の世界観に通じるものがあって大変好ましいと考えている。

え?知らない?

え?家にテレビないんですか?

・・・仕方ない、では彼らのPVを引用してキャンドルマスのこと少しだけ教えます。

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北欧の不気味な森の中、黒尽くめの男たちが棺を持って歩いている。

 

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墓にたどり着きました。北欧は火葬しないようですね。

業者にお願いしないで自分らで棺を運ぶのはいなせです。

 

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墓標にはメサイア・マーコリンという故人の名前。

 

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1993恋をした〜君に夢中〜、なんて思うこともなく、

故人の冥福を祈る黒尽くめの男たち。

 

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あれ?なにやら棺から煙がもくもく出てきましたよ。

 

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どうやらメサイアさんは生きていた・・・というか死んでいなかったようです。

どうなっているんだ北欧の医療システム・・・。

しかし改めて見ると、メサイアさんは近所のパーマ屋のおばさんにしか見えませんね。

 町で会ったら「あんた、刺し身あるから持っていきなさい」なんて声掛けてもらえそうです。

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墓から出しなに歌う元気。完全復活といったところでしょうか。

 

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こうして見ても分かるように、メサイアさんは太っています。

デスメタルでヴォーカルがデブというのはこの人が作った文化です。

(その後誰も継承してないけど)

絶対この人ドラム担当だよなーと思っていたらまさかのヴォーカルだった時みたいに一瞬「んっ」てなります。

 

えーと、あ、霧の浮舟の話だった。

まぁいいや。

 

 

 

ナビを探して④

トカラ列島奄美諸島、徳之島、福岡のいろんな島、東北の島、

とにかく沢山の島に行ったことがある。

そしてその島々に着くたびに、

「侘び寂びの世界だなー」と思う。

沖縄にも”島ちゃび”という離島苦を意味する言葉があるが、

沖縄の離島はまだ活気がある。

インフラ整備も本土に比較するとまだまだとはいえ、

沖縄の離島に沢山の予算がつぎ込まれ、

それらが観光資源の活用や地域活性化に活かされていることは、

上記の島々を見ると毎回強く実感する。

与論島

変な話だがとても離島っぽい。

離島然としている離島。

灼熱にさらされるコンテナの山、

閑散とした港周辺の風景、

テンションがあがる要素はゼロ。

がしかし、船を降りればナビがいるし、

よしけんもいる。

我々は下船口から桟橋を見渡した。

遠くからでも一際、男性ホルモンを放射している男がいる。

高指向性ホルモン放射を感じると同時に、

それがよしけんであることは皆すぐにわかった。

隣に教頭先生っぽい人白髪の男性が立っている。

あれがナビなのだろうか。

なんとも言えない感情を抱きつつ我々は桟橋へ降り立った。

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ナビでした。

 

島の男らしい精悍な雰囲気は昔と変わらないナビ。

よしけんも相変わらず温厚そうな雰囲気だ。

久しぶりの再会で盛り上がるが、

とくにあれこれ多くをしゃべるわけでもない。

そういえば昔から一緒にいてもそんなにしゃべらなかったなーということを思い出した。

ちなみに左端のケンボーとも東京で一緒に住んでいたことがあったが、

最低限の会話しかしなかったな。

我々はそんなにおしゃべりではないのである。

この後、よしけんのエスコートによる与論周遊、

大ちゃんが研究用に芋の葉っぱを集める作業(なんだそれ)

を経てナビ宅で再会することとなった。

 

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※右端の人はよしけんこと吉田憲司であり、ムエタイ戦士ではない。

 

 

よしけんはプロテイン事件のときと変わらずおっとりしている。

おっとりしていて天然である。

おっとりしていて天然・・・個人的にはあまり近づきたくないタイプだが、

笑いには事欠かない。

サイジ「おい吉田」

よしけん「吉田?」

サイジ「お前吉田だろ!」

という会話が死ぬほどおかしい。

ナビの近況を聞くと、

今年お母さんが亡くなり、現在お父さんは入院中だという。

車中しんみりしそうになったが、

ルームミラーに映るよしけんの大きい前歯を見ていると、

全然しんみりとはならないのであった。

さぁそろそろナビの家に行くか!

飲むぞー(既に飲んでるけど)

ナビの家はいわゆる古民家で、

入るとすぐにナビに促され今年亡くなったというお母さんの遺影がある神棚へ。

 

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与論島には仏壇がないそうで、大体このように神棚っぽい仕様になっている。

 

その後しばらくはナビ宅の庭でまったりしたり、

キャッチボールをしたりして遊んだ。

なぜ与論まで来てキャッチボールなのか。

それにはある事件が関連しているのである。

<牽制球事件>

その昔、我々草野球チーム「ワイセツ産業」で与論遠征をしたことがある。

地元のチームと親善試合をして、与論献奉で殺されるというツアーである。

我々のチームにかんのりーという男がいた。

かんのりーは、昔、ある大学を受験したことがあるということだけで、

未だに浪人カウントをされ続けている人物である。

今でも皆で会うたびに、

「かんのりー今年で何浪か?30浪くらい?」

と言われ続けている。

恐らく死ぬまで浪人生として扱われるでであろうかんのりーは、

その試合でファーストを守っていた。

試合の中盤だったか、

ランナー一塁で守備をしているときのこと。

ピッチャーのケンボーがファーストへ牽制球を投げたとき事件は起こった。

・・・この状況を文章で説明するのは難しい。

普通、ファーストは牽制球を受けてランナーにタッチをするものなのだが、

その時のかんのりーは牽制球に驚いて牽制球から逃げたのである。

 

なんか・・・考え事をしていたようで。

 

牽制球を投げたケンボーはマウンドから激しくかんのりーを叱責。

 

かんのりー曰く、「ごめんビックリした」

なにそれ。

 

その後、かんのりーの様子が段々おかしくなってくる。

 

試合中、ベンチに座っているかんのりーをふと見たら、

顔が真っ白になって、唇も真っ白になっているではないか。

「おい、前衛舞踏家!」

山海塾!」

我々がツッコむも見る見るかんのりーの生気がなくなっていく。

かんのりーの生きていこうとする力が徐々になくなっていくのが傍から見ていてよくわかる。

かんのりーは試合後、ホテルで翌日まで静養することとなった。

牽制球で具合を悪くしてホテルで寝るためだけに与論島へ行った男かんのりー。

これが我々の間で伝説になっているかんのりー牽制球事件である。

 

次で最終回かわからなくなったけど一応つづく。

 

ナビを探して③

デデデッデ デデデッデ

ウェンダナイッ!(スタンド・バイ・ミー

少年が数人集まれば未知への好奇心や冒険心など、

拙さ爽やかさが入り交じったドラマを彷彿とさせるが、

40代後半が群れるとどうしてもむさ苦しさだけが漂ってしまうものである。

40代後半が群れて良いのはゴルフ場と換気がうまく機能していない焼鳥屋というルールがあるのだが、

旧き友情を確認する旅というのもこれはこれで一興と思う。

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与論へ向かう2週間ほど前、よしけん経由でナビの携帯電話番号を教えてもらった。

サイジくんは既に電話をかけて、会話の途中で泣いたという。

それを聞いて僕は正直「・・・泣くば〜?」と思った。

泣く空気を想像することは電話を5日間躊躇させる。

しかしながら、いずれにせよ話をしないといけないし、

会いに行くのに話するのに躊躇するとか、

おじさんがアンビバレントな雰囲気になってどうする!

17歳のカルテか!

ウィノナ・ライダーか!

と自分を奮い立たせてナビに電話をした。

電話が繋がって、

ナビってこんな声だっけ?

こんな訛りだっけ?

という疑問を過ぎて、

あーこんな感じだったナーと思い出す感覚。

何しろ20年以上ぶりなのだ。

ナビは興奮していた。

我々が会いに来るのを心待ちにしてくれているのがわかった。

とりあえず安心。

よし!あとは楽しむだけだな!

という雰囲気になった。

当日、那覇港に早朝6時集合。

クーラーボックスをガラガラ引きずりながら家を出る。

道すがらコンビニで氷、ビール、ウィスキー、炭酸水を調達。

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ただ酒を買っているだけなのに、

気分は「ショーシャンクの空に」で調達屋だったモーガン・フリーマンになっている。

与論島にアンディが待っている、みたいな気分になる。

与論島に行くことを「ジワタネホに行く」と言う。

バカでしょ。

そして早朝の那覇港にダメ人間どもが集う。

ちなみに我々の合言葉は「俺たちダメ人間」である。

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朝6:30の写真

 

那覇港から与論へは大型フェリーで向かう。

あちこち経由しながら鹿児島に向かうためか、

那覇で乗った何番から何番の人たちはこのスペース、

という風に座るスペースが決められている。

朝からビールを飲むという自由な空気の中でまさかのルール。

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言いたいことも言えないこんな世の中じゃ・・・(ポイズン)

と一瞬思ったが、そこはルールなので従おうじゃないか。

我々は壁側に場所を陣取ってビールで乾杯した。

フェリーの2等客室特有の昔のアイルランドの移民感。

(それはタイタニックの影響)

フィドル持って来いや〜踊るぞ〜!

みたいな雰囲気だが、実際は地味に飲む。

本部港を過ぎるころにはウィスキーも空に近かった。

サイジくんが持ってきた甲類焼酎があったので助かった。

今日の天気は湿度も低く最高だ。

正当式の酎ハイがヤクルトみたいに入ってくる。

f:id:kkdsaur21:20161118102241j:plainメタルバンドの名残で写真のポーズは必ずこんな感じになります。

しかし大ちゃんこの風貌で思想はリベラルなんだぜ・・・。

 

船は沖縄本島から外洋へ。

とはいえ、与論島はすぐそこに見える。

「うぉージワタネホだ!」(違うけど)

テンション最高潮。

うっぷ、ちょっとトイレ行ってくる・・・。

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実はナビに会わなかったが、18年ほど前に与論島に来ている。

さらにその前にも与論島には来ている。

最初は与論サンゴ祭りに参加するため、

ナビのバンドでボーカルをしていた僕も、琉大ロック同好会と一緒に初めて訪れた。

20歳くらい頃だったと思うが、

その時はとにかくその琉大の人々の酒の飲み方が異常で、

ずっと引き気味だったのを覚えている。

あの頃Twitterなくてほんとによかったナーとつくづく思う。(笑)

与論島には”与論献奉”という回し飲みの習慣があり、

20歳あたりの、酒の飲み方覚えたての若者にはかなりハードであった。

最近だと渋谷のハロウィーンが問題になっているが、

あれを10数人でやっていたようなものである。

しかも与論の小さな小さな繁華街で。

自分の人生の中で”練り歩く”という経験はその時だけである。

「いやー練って歩きましたねー」と言いたくなるくらい。

2回目もサンゴ祭り出演のためだったが、その時はナビに会わなかったと思う。

船が与論港に入る。

巨大なロープをウィンチが巻き上げる音、

チェーンが滑り落ちていく音、

甲板にはかすかなオイルの匂いと、沖縄となにも変わらない空気。

豊かな自然とオリオンビール、こんにちは泉川ピートです。

 

次回いい加減に最終話

 

 

 

 

ワイセツな話

※すみません。ナビの話は一回飛ばします。

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先日、車を走らせながら、

「今度”プリンゴロス”という名のデスメタルバンドやりたいな」

と考えていました。(こんなことばかり考えて生きています)

あのヒゲのおじさんを顔をあーしてこーして・・・

妄想だけで楽しいです。

その昔、ワイセツ漁連という、自分の中では「工業メタル」というジャンルに属していると思うバンドを遊びで組んでいた時期があります。

「工業メタル」もこちらが勝手に考えたことで、

楽器の持つ曖昧さを全て排除し、ひたすらゴリゴリした音楽を奏でるバンドです。

チョーキングやヴィブラートなど、

少しでもエモーショナルなことをしたら死刑というルールでした。

ヴォーカルは中城のフィリップ・アンセルモと言われているケンボー。

当初は3曲目からはケツを出すというコンセプトだったのに、

後期は登場からケツを出すというワンパクさを発揮していた不世出のヴォーカリストでした。

 

この”ワイセツ漁連”という名称は、元々、我々の草野球チーム”ワイセツ産業”

から取られたもので、

バンド活動も草野球チームのスピンオフ企画だったわけです。

いつも試合をするときは、審判が、

「○○チーム対ワイセツ産業の試合を行います!」

と宣言し、試合前から相手が我々のチーム名で爆笑してくれて雰囲気が和む、

というチームでした。

まー今で言う出オチですね。

しかしながら、稀に

「ワイセツ産業さんってどこにあるんですか?」

と真顔で聞いてくる猛者もいましたし、

ワイセツ産業と聞いても誰一人笑わないチームもいました。

なぜワイセツ産業なのか。

これにはちゃんとした由来があります。

僕が18,19歳の頃まで遡ります。

友達のKくんと読谷の楚辺にあるYS産業という会社でアルバイトをしていました。

砕石場近くの殺伐としたロケーションの中にある、

木造の、まさに掘っ立て小屋の中で石材加工をするのですが、

完全にG-MEN75の望月源治(蟹江敬三)が住んでいるとしか思えない雰囲気ですよ。

蟹江敬三若林豪の戦いなんて今の若い人は知らないでしょーね。

蟹江敬三は昔怖かったんだぞ!」と若者に端折りすぎな説明をしているおじさんを

見たことがあります。

そのYS産業である日事件が起こります。

僕とKくんがちょうど昼休みに詰所で弁当を食べているとき、

尋常ではなく慌てに慌てた婦人が詰所に駆け込んできました。

「オッオッオジーヒータ」

「?????」

「そこで自転車に乗っているおじいさんを轢いてしまった!」

慌てて外を見ると、確かにおじいさんが道端に座り込んでいるが、

見たところ軽傷のようだった。

救急車を呼ぶ電話を借りるために婦人は詰所へ駆け込んだわけです。

黒電話で119番へダイヤルする婦人。

オペレーターと繋がったようですが、

興奮しててうまくしゃべれません。

その時、婦人が送話器を押さえて工場長にこう訊きました。

「ここなんて会社ですか?」

工場長は「YS(ワイエス)産業です」

と答える。

 

婦人「えっ?ワイセツ産業?」

 

これは奇跡だと思うのですが、

僕とKくん、同時に弁当噴きましたから。はい。

絶対笑ってはいけないときって、

なぜ笑いの神が降臨するんでしょうかね。

 

この時のKくんの顔は今でも鮮明に覚えています。

声に出せないので、その笑いを肩に逃し、

いわゆる肩で笑うっていうんですか?

恐らく30Cm幅くらいで大きく肩が上下していました。

僕はたまらず工場の裏へ逃げました。

 

それからですね。

いつかは「ワイセツ産業」という名称をどこかで使いたいと思ったのは。

 

それから数年後、草野球チームを結成した時、

チーム名をワイセツ産業にしたい旨を皆に尋ねたら、

まさかの全会一致で決まったいう。

 

 

 

ナビを探して②

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那覇から与論はフェリーで4時間

 

あれからみんな就職したりやなんやかんやでバンドは解散した。

僕は東京へ行くことが決まり、ナビは県内最大手のゼネコンに入社した。

しばらくの間は宜野湾の海っペリに夜な夜な集まってみんなでビールを飲んだり、

ロケット花火をしたり、アパシーな雰囲気だけど遊ぶみたいな変な時期があった。

芝ちゃんがいつもハードリカー(野蛮酒)を飲んでいた記憶がある。

そんな生き急いでいるような芝ちゃんも一緒によく集まった。

ちなみに、我々はロケット花火を手持ちで飛ばしていたんだが、

ナビは、ロケット花火の柄以外の先っぽが飛んでいくと思っていたらしかった。

そして、導火線がバチバチいっているのになぜか柄を離さず、

我々の「バカ!早く離せ!」と言う声も虚しく、

手元でロケット花火を爆発させたことがある。

火の粉が彼のロングヘアに撒き散ってみんなで

「天の川みたいできれいだな」などとのたまっていた。

そんな和気藹々な時期も過ぎ、東京でナビが会社を辞めた話を聞いた。

沖縄に帰ったとき彼と会ったが、自分が知っているナビではなかった。

なぜそうなったかは解らないが、とにかく別人のようになっていて、

思い出もなにもかも失ったような気持ちになった。

それからナビは故郷の与論島に戻り、

我々はまた日常に戻った。

話は変わるが、

”よしけん”というナビの後輩の男がいて、

ナビと同じ与論島から琉大に入ったヤツで、

風貌は男性ホルモンが服を着ているような感じだが、

性格は恐ろしいほどおっとりしている。

会話に少しディレイがかかっているので、

面と向かった会話でもブラジルとの衛星中継のようだった。

プロテイン事件>

毎週日曜日には野球をやってよしけんの家で酒を飲むという時期があった。

みんなでワイワイ会話をしている時、

急にけんぼーが「オエーっ」と言いながらベランダに走り込んでなにやら吐いている。

目撃者によると、

手癖の悪いケンボーが、棚の上にあったプロテインの箱を勝手にとって、

スプーンですくって食べたらしい。

ところが中身は洗濯用洗剤だったとのこと。

さらに目撃者によると、よしけんはそれを見ていたが、

「あー・・」としか言わなかったとのこと。

「それ洗剤だから食べちゃダメ!」と言うべきところを、

「あー・・」としか言わないおっとりぶり。

そして逆ギレするケンボー、

それに対して周りから手癖の悪さを叱責されるケンボー。

この話も盛られに盛られて、

「座っていたケンボーの口から急に泡が出てきた」

という話にまで捏造された。

閑話休題

今回、与論島に行くにあたり、

よしけんの協力なしではなにもできなかった。

ちなみによしけんはかなりの天然である。

与論滞在中も、サイジが「おい吉田(よしけんの本名)」とよしけんを呼んだら、

「・・吉田?」って返答してて、皆で「お前大丈夫か!」と、

爆笑の渦を作っていた。

 

③に続く