プロレススーパースター列伝について

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男は2種類に分別される。

プロレススーパースター列伝」を読んでいた男と読んでいない男である。

(以後、読んでいた層をP層とする)

読んでいた男同士はおじさんになっても話題の引き出しから瞬時にネタを取り出せる。

初めて会ったおじさん同士が「プロレススーパースター列伝」という共通言語で、

肩を組んで店から出ってしまうくらい意気投合してしまう。

接待におけるひとつの技として私は使っているのである。

効果はテキメンで、一回飲んだだけなのに、小学校の同級生だったくらいのレベルまで仲良くなる。

相手がP層かどうか、私がそれを探る際に実際に使うテクニックをひとつ紹介しよう。

酒席において、

「お熱くなっておりますのでお気をつけください〜」

と言われて出される料理があった場合。

両手つま先を左右交互に器を突く。

「あれ?地獄突きっすか?」

という接待相手。

はい、P層ホイホイにかんたんにかかるという算段。

プロレススーパースター列伝」は8割くらい捏造で、

それを大人になって振り返ってみて、しみじみ

「子供の頃信じてたなナ・・・」とノスタルジーを想起させるものなので、

今しかないという気持ちになってひたすらおじさん同士で作品をツッコミ続ける。

それだけで涙が出るくらい大爆笑になるのだ。

 

 

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 ・・・絶対ウソだよね。

 

で、誰のシリーズが好きだったかという話になるのだが、

誰が誰でも「お〜」と盛り上がるのがP層おじさんの特徴である。

ブルーザー・ブロディ編が好だった人。

B.I砲編が好きだった人。

私は断然アンドレ・ザ・ジャイアント編が大好きである。

アンドレを発掘した行から大好物なのである。

アンドレは木こり(これも捏造)で、大きな体を活かして斧で気を切っている。

爺さんがチェーンソー使ったほうが効率が良いのは明白だが、

漫画的には非常に良い。

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ちなみにP層にはアンドレのことを「ロシモフ」と呼ぶ人もいる。

 

実際のところアンドレは裕福な家の生まれで仕事もホワイトカラーだったという。

P層同士で話が盛り上がると題材以外にも当然話が及ぶのだが、

60年代後半〜70年代前半生まれにブロディ好きが案外多いのも興味深い。

その都度、ジミー・スヌーカの話を差し込む私は、

餅つきで言う手水みたいで気分が良いのである。

 

鼻水

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まさに、つい今しがたの話。

羽田空港にて搭乗待ちの際、トイレに寄った。

トイレでは鏡をあまり見ないし、

正直手を洗わないでスーッと出ていくこともある。

今回はなんとなく手でも洗ってみようかと、

シェフの気まぐれ的に洗面台に向かった。

そして、ふと鏡を見て驚いた。

鼻水が出ていた。

厳密に言うと、出てるというほどではないが、

光の辺り具合でキラッとするみたいな。

キラッと光る逸材発見!みたいな。

かなりの衝撃を受けたが、逆に加齢について冷静に自分を見つめ直すことができた。

副次的にこんなところでポジティブになれる自分にも軽くサプライズ。

今回、東京に来て言われたセリフの第一位が、

「出身は沖縄ではないでしょ?」

であり、2位が、

「ちょうど暖かくてよかったですね」

であった。

2位のこのセリフの本当の意味は、

「せっかく南の島から来たのに思いのほか寒くなくて、出張のダイナミズムを失っているのは残念だ。なんかごめんね。」ということである。

なので、「いや、充分寒いっすよ!」と本当の意味に対して応える。

ちなみに、

「持論を展開」⇒「なにかバカなことを言っている」

「相談すればよかったのに」⇒「こちらに責任はないからな」

「ラッキー!!!」⇒「悪いことしか起こってない」

のようなものである。

鼻水の衝撃を落ち着かせるべく、鯖寿司とハイボールをお供にこの記事を書いている。

とりあえず、今決心したのは、「手鏡持とう」という一点だけである。

同世代の方への注意喚起として。

 

鳩どろぼう(ミヒャエル・エンデ風)

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むかしむかし

こどもたちがゲームウォッチに夢中だった頃のはなし。

この町でもそのとなりの町でも、

さらに遠くの町でもこどもたちが鳩を飼っているじだいがありました。

レース鳩0777(アラシ)というまんがのえいきょうが90パーセントで、

にいぬまけんじのえいきょうが10パーセントという説を唱えるおとなたちも多くいましたが、そのしんそうは誰もわかりません。

にいぬまけんじがバドミントンで国体に出場するほどのうでまえであったことは、

誰しもがとおいむかしに忘れています。

いろんなこどもたちが、家の屋上にベニヤでしつらえた鳩小屋をたてていました。

その町は台風の通りみちということもあり、嵐の後に木材や鳩そのものが町に散乱しているのも、ある意味ふうぶつしのようなものでした。

鳩は何キロも離れたところから鳩小屋にかえってくる習性があるので、

こどもたちはその鳩のかしこさにみりょうされ、かわいがっていました。

ボボという小学6年生の男の子もかしこい鳩を5羽飼っていました。

しかし、その町はたいへんすさんでいて、こどもの10人に9人は、おとなになったら背中にファルコンの絵をほりたいと間違った夢をいだいていた程です。

そんな環境ですので、ボボの鳩小屋には何度もどろぼうがはいりました。

かわいがっていた鳩に朝えさやりに行くと、小屋の中はもぬけのからです。

ボボはなきました。

そして盗まれたはとはげんきだろうかと授業中もかんがえこむのです。

そして心優しかったボボは思いました。

「ワシは奪われる側より奪う側に行くんじゃ」

しばらくして、ともだちのぺぺより鳩どろぼうの計画をきき、

参加することにしました。

ぺぺは穂積ぺぺではありません。

ボボは泥棒のようりょうがわからないので、ぺぺの計画にしたがうしかありません。

ぺぺの計画によると、いちばん鳩どろぼうに適した時間は朝の4時とのことでした。

そして、ふたりはけいかくをじっこうするのですが、

朝の4時はいちばんこどもが起きない時間帯です。

ふたりはなんども寝坊をくりかえしながら、やがてどろぼうをすることもなく、

時間が二人を大人にした、みたいになって、けっきょくなにも起きませんでした。

ボボはうばうがわの人間にならなくてよかったとおとなになったいまでもたまに思うことがあります。

(実話)

 

大謝名ワンダラン

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結論から言うが、大謝名は日本でない。

ここでは便宜上、パイプラインから上を”上大謝名”

下を”下大謝名”言おうか。

上大謝名は日本ではない?じゃあどこか?

コロンビアです。

下大謝名は日本なのか?

えーっとメキシコです。

58号線から我如古まで県道34号線がずーっと坂道である。

あ、我如古はヨハネスブルグね。

夜遅くに上下ミリタリー服を着た海兵隊が坂道を降りている。

こんな遅くに海兵隊が軍服で歩くなんて・・・

よく見ると近所の癖の強いおっさんがその格好でスナックに向かっているだけだった。

乳飲み子を抱き、裸足で電話ボックスに泣きじゃくりながらしゃがみこんでいる若い母。

薬物更生施設から抜け出してホテル(今はない)でライターのガスを吸って、

それが引火して部屋が吹き飛ぶ。

(今で言うブレイキング・バッドのシーズン2)

ヤクザの抗争で人が死んだこともある。

そんなおむすびを転がしたら東シナ海まで転がっていくような坂道が好きだ。

僕は30歳の頃、そんな上大謝名でバーを経営していた。

(通称:いないいないバァ〜ならぬ人のいないバー)

僕の接客の酷さが結構口コミで広がっていて、

ロングアイランドアイスティーを注文したら舌打ちされた」

などの記憶にないエピソードが蔓延っていた。

注文をもらって舌打ちするなんて、絶対そんなことをするわけはないが、

僕の地顔自体が舌打ちしてる顔みたいなので弁解できないとも言える。

お客さんと揉めることもあった。

「兄ちゃん、ダイリキ作って」

「はいどうぞ」

「(一口飲んで)・・・兄ちゃん、那覇のXXXってバー知ってる?」

「はい、知ってます」

「あそこのダイリキを飲んで勉強しな」

「・・・じゃあここ出てってそこに行けよ!そもそもダイリキじゃなくてダイキリだから!なんだよダイリキってアホか!」

ハートウォーミングメモリー・・・。

 

安室奈美恵のお母さんが亡くなった日。

いつものように人のいないバーのカウンターで本を読んでたら、

慌てた感じで男女2名が店に入ってきた。

「フジテレビです!安室奈美恵さんのお母さんが昔ここで働いていたそうなんですが、取材いいですか?」

その後もひっきりなしにいろんなマスコミが人のいないバーに入ってきて同じ質問をする。

 

賑やかなのに売上ゼロである。

 

途中、めんどくさくなって、

「あーその店は1軒となりのビルですよ」

と答えた。

その1軒となりのビルは、多少霊感なくても幽霊見えるということで、

マニアおすすめのビルだ。(まだある)

そこの最上階にはその昔レコーディング・スタジオがあり、

そこで僕の弟は見たと言っていた。

 

下大謝名についても触れておこうか。

 

昔、テルヤ商店という雑貨屋があって、

そこに来る客の90%が地元のヤンキーだった。

小学校の頃、当時はコンビニがなく、

夜中にポテチを買いたくなったら、テルヤ商店に行くしかないのだ。

夜中は特にヤンキーがたむろっている。

そして、チキンを食べている。

うずらの卵もやはり食べている。

コーラ1リッターを直飲みである。

目を合わさないように下向いて店に入ったな〜懐かしい。

 

正直、幽霊よりも怖かったのである。

 

僕が万引きして叱られたひさとめ商店のお母さん。

 

その孫と大謝名のバーで知り合って、

「おばあちゃんは立派だったよ!」となぜか上から言ってしまう元万引き犯の僕。

 

あー小銭寿司が輝いていた時代が懐かしい。

 

今はいろんなバーができて活性化してるようで、

大謝名の人間としては大変喜ばしい限りである。

 

バーバリック

テイスティングクラブ

Cafe Blue Clair

ロックジャミン

それぞれ強い個性を持った名店ですので、

ホットペッパーぐるなびで調べて行ってね。

 

 

村上春樹が好きなのか嫌いなのかわからない

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今でこそベッドで眠る前に見るのはスマホなんだけど、

昔は本だった。

僕の場合は、毎日同じ本を読んでいた。

毎日、眠りに入る直前の10分くらいしか読まないので、

1冊読むのに1ヶ月かかり、また最初から読むというサイクルだった。

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僕は開高健の「オーパ・モンゴル篇中国篇スリランカ篇」を

ずーっと読んでいたな。

恐らく3年くらいこの本が一冊だけベッドの棚に置かれていた。

開高健に関しては、元々、闇三部作から読んでそれ以来大好きな作家のひとりとなった。

オーパは著者のサイドストーリーというか、

少し力の抜けたもので読みやすく、更に好きになった。

ただ、力を抜いても文章そのものは本当に凄かった。

今でも開高作品は読む。

本は時間が止まっているのに、僕の感心や驚きはどんどん変化していく。

あんな文章絶対に書けない。

一行に価格をつけても良いくらいに思う。

 

さて、村上春樹

村上春樹の文章もひとつひとつ価格を付けたくなるものが多い。

僕の場合、特に「風の歌を聴け」は何十回と読んだ。

何百回かも知れない。

ただ、好きなんだけど妙に鼻につく。

読みながら微かに苛ついてることに気付く。

 

猫はミント系の匂いが苦手だ。

昔、飼っていた猫も、僕が頭皮に噴射する育毛スプレーのミント臭を嗅ぐたび、

オエッと言っていた。

オエッというのに何度も匂いを嗅ぎにきた。

嫌いな匂いなのになんで嗅ぐのか意味が分からなかったが、

最終的にはそのスプレーをペロペロ舐めていた。

オエオエ言いながらも舐めるくらい好きになることもあるんだ。

断じて舐めるものではないのに・・・。

僕が村上春樹作品に感じる距離感はこの猫とスプレーの関係に近い。

 

村上春樹は比喩が多い。

どれもいちいちかっこよくて、比喩のためにストーリーがあるのかと思うくらいだ。

坂口征二のプロレスがアトミックドロップをするためにあるのと同様、

帰納法的だ。(あっ、オレも例えちゃった)

風の歌を聴け」にこんな一節がある。

”一枚の版画がかかっていて、どうしようもなく退屈した時など僕は何時間も飽きもせずにその絵を眺めつづけた。まるでロールシャッハテストにでも使われそうなその図柄は、僕に向かい合って座った二匹の緑色の猿が空気の抜けた二つのテニスボールを投げあってるように見えた”

この短い文章の中にしつこく2つも比喩的表現がある。

トゥーマッチでしょ。「ちょっと何言ってるかわからない」と言いたくもなる。

本を読むのが苦手な人は、その文章を自分の理解で落とし込もうとする。

そのような人には村上春樹は面白くないかも知れない。

反動で斎藤ひとりの本を読むのかも知れない。

「ありがとう」って書かれたTシャツを着だすかもしれない。

僕のように文章のパワーに惹きつけられている人間は、まず意味を理解しようとは思わない。

厳密に言うと、話の筋が生命線の本は意味を追いかけるが、

文章のまさに力に書かれた本はそのまま文章の力を感じる、というのか。

音楽でも、たまにはキレイな世界から外れてキャプテン・ビーフハートとかザッパを聴きたくなるのと一緒なのである。

スパゲティミートソースをグチャグチャ音を立てながら食べ、

赤ワインをボトルからラッパ飲みしたくなるときもあるのだ。

ただ、その村上春樹が好きかと訊かれれば素直に好きとは言えないなにかがある。

その感情を説明する言葉がないというのは正直なところである。

なんというか、凄い釣り師が大物をたくさん釣って、

「スゲー!」と言いながらよく見たら全部魚のエラにハリが掛かっていた、みたいな。

うんー例えるの便利だけどなにが言いたいか自分でもわからなくなる。

 

 

8/19の悲しかった話 #1

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小6のときの野球大会前日に肘を脱臼し、大会に出られなかったことがある。

その時は悔しくて泣いた記憶がある。

今回はその時以来の悔しさじゃないかな。

琉大ロック同好会の同窓会なライブイベント。

イベントを知ってから観に行くことを楽しみにしていた。

久しぶりに会いたい人たちもいるし。

 

当日の午前中、森川レンジ(おっ琉大近くだナ)でゴルフ練習をしていたんだけど、

いつもより倦怠感がある気がする。

前日は仕事関係の人らと飲んで、帰宅就寝中に珍しく嘔吐したのだけど、

それってなにか関係あるのかな?

とかなんとか思いつつ、58度のウェッジで80ヤードのショットをひたすら打っていた。

坂田信弘の金言を思い出し、また、坂田信弘はアスリートなのに国語の教師感が強いという疑問を感じながら。

森川レンジの早朝練習は朝日を直接浴びることになるので、

汗だくの滝行状態で家路に着くシステムとなっている。

車内はエアコン全開なのでそれも良くなかったかも知れない。

風呂を浴び、とりあえず体調を戻そうということで寝ることにした。

1時間後目覚めると、完全に体への違和感が。ざわ・・ざわ

どうする?無視するか?自分で自分を騙すか?色々悩んだ挙句、

体温を計ることに(というかこの時点で熱あるのわかるんだけど)

37.9度。

「でっ出ました!」(人を小馬鹿にするときに沖縄の人が使う言い方で)と心でつぶやく。

当日のプランとしては、ライブ2時間前に足立屋で3千ベロのウォームアップをしてライブ会場に入ろうと思ってたのに。

(人見知りだから)

取り急ぎ、家中の冷たいもの(ヤクザ用語ではないやつ)をかき集めてリンパの通り道を冷やす。

脳内では「オーストラリア花嫁失踪事件」とか、昭和の寒々しい事件などを思い出し、

クールダウンに少しでも寄与しようと頑張った。

しかし下がらない。シクシクだよ!(牧瀬里穂

オレの免疫細胞が病原菌にseek and destroyしない。

fxxk!

その虚無感を幾分和らげるために琉大ロック同好会について、ほんの少しだけ絡んだ自分の思い出を書こうかと。

あ、時間ないや。次回書きます。

人生で一回だけオーディションに出たときの話

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オーディションに参加している人がSNSを使って応援をお願いしているのを良く見かける。

便利な時代になったぁとつくづく思う。

しかも最近の人、歌は上手いし演奏上手いし、コンセプトもしっかりしているし、

昔では考えられないくらいレベルが上っていると思う。

ただ、ちょっと前にレゲエユニットみたいな二人組(個人的にはカラオケユニットと呼んでいる)が、ビアガーデンで歌い終わったあとに、客に名刺を配って歩いているのを見た時、それはちょっと違うんじゃないかと思ったけど。

 91か92年くらいだったと思うが、

当時はバンドブームでいろんなレーベル(CD出す会社ね)が乱立していた。

で、ちょうど僕も東京で一旗挙げようと思っている時だったので、

求人誌フロムAが今度立ち上げるレーベルのオーディションというやつに応募してみた。

そしたらなぜか2次審査を通過して本戦に出ることになって、慌てて上京した。

本戦参加者は4組で、個人出場は僕だけだった。

渋谷のスペイン坂の近くにあるライブハウス(っぽい箱)で大会は行われた。

審査員には井上陽水のアルバムをプロデュースしたとか、

大物感漂う人らがいたな。

それぞれ2曲歌うことになっていたので、

僕はオリジナル曲意外に慌てて1曲コピーをして参加したのだが・・・

コピーしたのはThe Missionの”Black Mountain Mist”という曲か、

Death Angelの"a room with a view"のどれかを歌った。

(正直覚えていない)

いずれにせよ、どれも漆黒の闇くらい暗い曲だ。

今考えてもなんであんな曲歌ったんだろう?と思う。

しかもそのオーディションにメジャーデビューしたばかりという、

ToyBoysという結構クソみたいな(失礼)バンドがひゃっほーして場を盛り上げていたのに。

歌を終えると審査員があれこれ言うんですね。

あ、やっぱりオーディションだな、みたいな感じで。

僕が言われたのは主に以下の通り。

・服がダサい

・華がない

・痩せろ

ただただ東京に傷つけられに行ったんだなって。(照)

でもまあ僕にサンボマスターみたいに根性がなかったから音楽ビジネスの世界に入れなかったというだけだけど。

今、仕事で良くプレゼンテーションをするが、

あれも完全にオーディションの空気と言える。

まさか20数年の時を経て東京の経験を活かせるとは思わなかったナー。

 

後日談として。

先に東京に住んでいた弟がたまたまフロムAを見たら自分の兄貴(つまり僕)が

出ているオーディションのレポートが掲載されていてとても驚いたそうな。

その時、弟とは連絡つかない状況だったので、

それをきっかけに東京で会うことができたと言う。

記事ではめっちゃ持ち上げられていましたね。僕。