大謝名ワンダラン

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結論から言うが、大謝名は日本でない。

ここでは便宜上、パイプラインから上を”上大謝名”

下を”下大謝名”言おうか。

上大謝名は日本ではない?じゃあどこか?

コロンビアです。

下大謝名は日本なのか?

えーっとメキシコです。

58号線から我如古まで県道34号線がずーっと坂道である。

あ、我如古はヨハネスブルグね。

夜遅くに上下ミリタリー服を着た海兵隊が坂道を降りている。

こんな遅くに海兵隊が軍服で歩くなんて・・・

よく見ると近所の癖の強いおっさんがその格好でスナックに向かっているだけだった。

乳飲み子を抱き、裸足で電話ボックスに泣きじゃくりながらしゃがみこんでいる若い母。

薬物更生施設から抜け出してホテル(今はない)でライターのガスを吸って、

それが引火して部屋が吹き飛ぶ。

(今で言うブレイキング・バッドのシーズン2)

ヤクザの抗争で人が死んだこともある。

そんなおむすびを転がしたら東シナ海まで転がっていくような坂道が好きだ。

僕は30歳の頃、そんな上大謝名でバーを経営していた。

(通称:いないいないバァ〜ならぬ人のいないバー)

僕の接客の酷さが結構口コミで広がっていて、

ロングアイランドアイスティーを注文したら舌打ちされた」

などの記憶にないエピソードが蔓延っていた。

注文をもらって舌打ちするなんて、絶対そんなことをするわけはないが、

僕の地顔自体が舌打ちしてる顔みたいなので弁解できないとも言える。

お客さんと揉めることもあった。

「兄ちゃん、ダイリキ作って」

「はいどうぞ」

「(一口飲んで)・・・兄ちゃん、那覇のXXXってバー知ってる?」

「はい、知ってます」

「あそこのダイリキを飲んで勉強しな」

「・・・じゃあここ出てってそこに行けよ!そもそもダイリキじゃなくてダイキリだから!なんだよダイリキってアホか!」

ハートウォーミングメモリー・・・。

 

安室奈美恵のお母さんが亡くなった日。

いつものように人のいないバーのカウンターで本を読んでたら、

慌てた感じで男女2名が店に入ってきた。

「フジテレビです!安室奈美恵さんのお母さんが昔ここで働いていたそうなんですが、取材いいですか?」

その後もひっきりなしにいろんなマスコミが人のいないバーに入ってきて同じ質問をする。

 

賑やかなのに売上ゼロである。

 

途中、めんどくさくなって、

「あーその店は1軒となりのビルですよ」

と答えた。

その1軒となりのビルは、多少霊感なくても幽霊見えるということで、

マニアおすすめのビルだ。(まだある)

そこの最上階にはその昔レコーディング・スタジオがあり、

そこで僕の弟は見たと言っていた。

 

下大謝名についても触れておこうか。

 

昔、テルヤ商店という雑貨屋があって、

そこに来る客の90%が地元のヤンキーだった。

小学校の頃、当時はコンビニがなく、

夜中にポテチを買いたくなったら、テルヤ商店に行くしかないのだ。

夜中は特にヤンキーがたむろっている。

そして、チキンを食べている。

うずらの卵もやはり食べている。

コーラ1リッターを直飲みである。

目を合わさないように下向いて店に入ったな〜懐かしい。

 

正直、幽霊よりも怖かったのである。

 

僕が万引きして叱られたひさとめ商店のお母さん。

 

その孫と大謝名のバーで知り合って、

「おばあちゃんは立派だったよ!」となぜか上から言ってしまう元万引き犯の僕。

 

あー小銭寿司が輝いていた時代が懐かしい。

 

今はいろんなバーができて活性化してるようで、

大謝名の人間としては大変喜ばしい限りである。

 

バーバリック

テイスティングクラブ

Cafe Blue Clair

ロックジャミン

それぞれ強い個性を持った名店ですので、

ホットペッパーぐるなびで調べて行ってね。

 

 

村上春樹が好きなのか嫌いなのかわからない

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今でこそベッドで眠る前に見るのはスマホなんだけど、

昔は本だった。

僕の場合は、毎日同じ本を読んでいた。

毎日、眠りに入る直前の10分くらいしか読まないので、

1冊読むのに1ヶ月かかり、また最初から読むというサイクルだった。

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僕は開高健の「オーパ・モンゴル篇中国篇スリランカ篇」を

ずーっと読んでいたな。

恐らく3年くらいこの本が一冊だけベッドの棚に置かれていた。

開高健に関しては、元々、闇三部作から読んでそれ以来大好きな作家のひとりとなった。

オーパは著者のサイドストーリーというか、

少し力の抜けたもので読みやすく、更に好きになった。

ただ、力を抜いても文章そのものは本当に凄かった。

今でも開高作品は読む。

本は時間が止まっているのに、僕の感心や驚きはどんどん変化していく。

あんな文章絶対に書けない。

一行に価格をつけても良いくらいに思う。

 

さて、村上春樹

村上春樹の文章もひとつひとつ価格を付けたくなるものが多い。

僕の場合、特に「風の歌を聴け」は何十回と読んだ。

何百回かも知れない。

ただ、好きなんだけど妙に鼻につく。

読みながら微かに苛ついてることに気付く。

 

猫はミント系の匂いが苦手だ。

昔、飼っていた猫も、僕が頭皮に噴射する育毛スプレーのミント臭を嗅ぐたび、

オエッと言っていた。

オエッというのに何度も匂いを嗅ぎにきた。

嫌いな匂いなのになんで嗅ぐのか意味が分からなかったが、

最終的にはそのスプレーをペロペロ舐めていた。

オエオエ言いながらも舐めるくらい好きになることもあるんだ。

断じて舐めるものではないのに・・・。

僕が村上春樹作品に感じる距離感はこの猫とスプレーの関係に近い。

 

村上春樹は比喩が多い。

どれもいちいちかっこよくて、比喩のためにストーリーがあるのかと思うくらいだ。

坂口征二のプロレスがアトミックドロップをするためにあるのと同様、

帰納法的だ。(あっ、オレも例えちゃった)

風の歌を聴け」にこんな一節がある。

”一枚の版画がかかっていて、どうしようもなく退屈した時など僕は何時間も飽きもせずにその絵を眺めつづけた。まるでロールシャッハテストにでも使われそうなその図柄は、僕に向かい合って座った二匹の緑色の猿が空気の抜けた二つのテニスボールを投げあってるように見えた”

この短い文章の中にしつこく2つも比喩的表現がある。

トゥーマッチでしょ。「ちょっと何言ってるかわからない」と言いたくもなる。

本を読むのが苦手な人は、その文章を自分の理解で落とし込もうとする。

そのような人には村上春樹は面白くないかも知れない。

反動で斎藤ひとりの本を読むのかも知れない。

「ありがとう」って書かれたTシャツを着だすかもしれない。

僕のように文章のパワーに惹きつけられている人間は、まず意味を理解しようとは思わない。

厳密に言うと、話の筋が生命線の本は意味を追いかけるが、

文章のまさに力に書かれた本はそのまま文章の力を感じる、というのか。

音楽でも、たまにはキレイな世界から外れてキャプテン・ビーフハートとかザッパを聴きたくなるのと一緒なのである。

スパゲティミートソースをグチャグチャ音を立てながら食べ、

赤ワインをボトルからラッパ飲みしたくなるときもあるのだ。

ただ、その村上春樹が好きかと訊かれれば素直に好きとは言えないなにかがある。

その感情を説明する言葉がないというのは正直なところである。

なんというか、凄い釣り師が大物をたくさん釣って、

「スゲー!」と言いながらよく見たら全部魚のエラにハリが掛かっていた、みたいな。

うんー例えるの便利だけどなにが言いたいか自分でもわからなくなる。

 

 

8/19の悲しかった話 #1

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小6のときの野球大会前日に肘を脱臼し、大会に出られなかったことがある。

その時は悔しくて泣いた記憶がある。

今回はその時以来の悔しさじゃないかな。

琉大ロック同好会の同窓会なライブイベント。

イベントを知ってから観に行くことを楽しみにしていた。

久しぶりに会いたい人たちもいるし。

 

当日の午前中、森川レンジ(おっ琉大近くだナ)でゴルフ練習をしていたんだけど、

いつもより倦怠感がある気がする。

前日は仕事関係の人らと飲んで、帰宅就寝中に珍しく嘔吐したのだけど、

それってなにか関係あるのかな?

とかなんとか思いつつ、58度のウェッジで80ヤードのショットをひたすら打っていた。

坂田信弘の金言を思い出し、また、坂田信弘はアスリートなのに国語の教師感が強いという疑問を感じながら。

森川レンジの早朝練習は朝日を直接浴びることになるので、

汗だくの滝行状態で家路に着くシステムとなっている。

車内はエアコン全開なのでそれも良くなかったかも知れない。

風呂を浴び、とりあえず体調を戻そうということで寝ることにした。

1時間後目覚めると、完全に体への違和感が。ざわ・・ざわ

どうする?無視するか?自分で自分を騙すか?色々悩んだ挙句、

体温を計ることに(というかこの時点で熱あるのわかるんだけど)

37.9度。

「でっ出ました!」(人を小馬鹿にするときに沖縄の人が使う言い方で)と心でつぶやく。

当日のプランとしては、ライブ2時間前に足立屋で3千ベロのウォームアップをしてライブ会場に入ろうと思ってたのに。

(人見知りだから)

取り急ぎ、家中の冷たいもの(ヤクザ用語ではないやつ)をかき集めてリンパの通り道を冷やす。

脳内では「オーストラリア花嫁失踪事件」とか、昭和の寒々しい事件などを思い出し、

クールダウンに少しでも寄与しようと頑張った。

しかし下がらない。シクシクだよ!(牧瀬里穂

オレの免疫細胞が病原菌にseek and destroyしない。

fxxk!

その虚無感を幾分和らげるために琉大ロック同好会について、ほんの少しだけ絡んだ自分の思い出を書こうかと。

あ、時間ないや。次回書きます。

人生で一回だけオーディションに出たときの話

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オーディションに参加している人がSNSを使って応援をお願いしているのを良く見かける。

便利な時代になったぁとつくづく思う。

しかも最近の人、歌は上手いし演奏上手いし、コンセプトもしっかりしているし、

昔では考えられないくらいレベルが上っていると思う。

ただ、ちょっと前にレゲエユニットみたいな二人組(個人的にはカラオケユニットと呼んでいる)が、ビアガーデンで歌い終わったあとに、客に名刺を配って歩いているのを見た時、それはちょっと違うんじゃないかと思ったけど。

 91か92年くらいだったと思うが、

当時はバンドブームでいろんなレーベル(CD出す会社ね)が乱立していた。

で、ちょうど僕も東京で一旗挙げようと思っている時だったので、

求人誌フロムAが今度立ち上げるレーベルのオーディションというやつに応募してみた。

そしたらなぜか2次審査を通過して本戦に出ることになって、慌てて上京した。

本戦参加者は4組で、個人出場は僕だけだった。

渋谷のスペイン坂の近くにあるライブハウス(っぽい箱)で大会は行われた。

審査員には井上陽水のアルバムをプロデュースしたとか、

大物感漂う人らがいたな。

それぞれ2曲歌うことになっていたので、

僕はオリジナル曲意外に慌てて1曲コピーをして参加したのだが・・・

コピーしたのはThe Missionの”Black Mountain Mist”という曲か、

Death Angelの"a room with a view"のどれかを歌った。

(正直覚えていない)

いずれにせよ、どれも漆黒の闇くらい暗い曲だ。

今考えてもなんであんな曲歌ったんだろう?と思う。

しかもそのオーディションにメジャーデビューしたばかりという、

ToyBoysという結構クソみたいな(失礼)バンドがひゃっほーして場を盛り上げていたのに。

歌を終えると審査員があれこれ言うんですね。

あ、やっぱりオーディションだな、みたいな感じで。

僕が言われたのは主に以下の通り。

・服がダサい

・華がない

・痩せろ

ただただ東京に傷つけられに行ったんだなって。(照)

でもまあ僕にサンボマスターみたいに根性がなかったから音楽ビジネスの世界に入れなかったというだけだけど。

今、仕事で良くプレゼンテーションをするが、

あれも完全にオーディションの空気と言える。

まさか20数年の時を経て東京の経験を活かせるとは思わなかったナー。

 

後日談として。

先に東京に住んでいた弟がたまたまフロムAを見たら自分の兄貴(つまり僕)が

出ているオーディションのレポートが掲載されていてとても驚いたそうな。

その時、弟とは連絡つかない状況だったので、

それをきっかけに東京で会うことができたと言う。

記事ではめっちゃ持ち上げられていましたね。僕。

 

 

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駅で路線図を見ると謎の高揚が始まるときがある。

一番高い(遠い)切符の駅に行きたくなる衝動もあれば、

乗車中、全然降りる予定のない駅で降りたくなる衝動もある。

 

どうせ遠くまで行っても予想通り田舎なのだろうし、

途中で降りても、似たり寄ったりのよくある駅前の風景が広がっているのだろう。

どの駅周辺にも食堂があり、サバの味噌煮がある。

生活文化がパラレルに整然と線路上に続いているが、

ひたすらに線路を進めば少しずつ変化していくと思われる。

醤油が味噌になっていったり、鰹が昆布になっていったり、

便宜上、行政区で分かれているけど、そんなの関係無しに、

このグラデーションを研究できたら楽しそうだなと思う。

映画「エッセンシャル・キリング」のように、

自分が追われるテロリストになったつもりで逃げるように日本の端に行くのも楽しそうだ。

ヴィンセント・ギャロになりきって、新潟あたりまで逃げたい。

もちろん雪は降っていて、しまむらでコートを買うか悩むところだが、

そこで面が割れてしまっては元も子もない。

なのでとりあえず我慢しよう。

その代わり、越乃景虎と塩引き鮭で気を紛らわせる。

逃亡の身で血圧を気にしてはいけない。

ヴィンセント・ギャロが血圧を気にするはずがない。

8名掛けのカウンターしかない飲み屋には、

韓国で仕立てている自慢の革製コートを着たまま、

船越英一郎がひとり静かに呑んでいる。

はりぼてのマンハッタンと松居一代が一瞬脳裏を過る。

バイアグラが問題ではない、飲む量が問題なのだ」

オレは心の中で船越英一郎にエールを送る。

 豪雪が町を無音にしているが、

店内の32インチ画面では東京ドームの歓声が鳴り響いている。

坂本がホームランを打ったようだ。

日本酒で甘ったるくなった口を爽やかにしたい。

黒ラベルを頼むと品切れらしい。

代わりにラガーをもらう。

だけどラガーで十分だと思う。

 

しかし、ヴィンセント・ギャロ 変な映画に出るな・・・。

 

 

波照間島にて

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日本最南端の有人島波照間島

港で2時間船を待つことになった。

閑散としたターミナル内はこの灼熱下においても空調が作動していない。

ときより吹き抜ける風がターミナル内の熱気を申し訳程度に撹拌し、

時計の長い針はさっきから動いていないように思える。

このターミナルに1件だけ飲食店が常設されていて、

その店の店主は一際とっつきにくいオーラを発している。

周辺には飲食店がないので、店主に嫌われることは餓死を意味する。

無愛想な店主に生殺与奪を握られていることは、そこに訪れた者なら

すぐに気付くものである。

ここの店主の口癖は「待て」である。

「すいませーん」

「ちょっと待てよ」

沖縄そばの並ひとつ」

「待てったら」

キムタクかこの店主かというくらいのものである。

オリオンの生ビールを頼む。

フリーザーから取り出したジョッキにビールが注がれ、

手元に届くまでには完全にぬるくなっている。

”秒で”ぬるくなるので慌て飲まなければならない。

「ビールが一番上手い湿度だな」

思わず言った独り言に対し、

「そんなのあるのか?」

店主がツッコんでくる。

どうやら嫌われてはいないようなので、

続けて沖縄そばを注文する。

時計の針は相変わらず動いていないように思う。

昔は色々な本を読んだ影響で、

インテリ層の考え方に随分感化されていたが、

今は真逆の考え方になっている。

無人島に釣りの名人と学者がいたら釣りの名人が生き残るという単純な理屈を今では持つようになった。

「トランプが勝つようなアメリカはアホだ」

こんな意見がバカバカしく感じるようになっている。

店主の深いシワを見ているとことさらそのような考えが強くなる不思議。

地元の名産である泡波をロックで注文する。

店主はロックグラス表面まで波々と泡波を注ぐ。

完全に受け入れられている気がする。

しかし、そんなことで喜ぶなんてよっぽど自分が都会の人間なんだなと思ってしまう。

店主は店以外の時間なにをしているのか気になるところだが、

島に来ると「生きることを生きる」という空気を感じて、

なぜだか不思議だが、自分が恥ずかしくなるような感覚になる。

人間が年をとると土いじりを始めるのが薄っすら分かる気がしてきた。

 

 

 

 

骨汁を北大路魯山人的に語ってみる

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出し殻で作った料理と聞くと少しばかり気がひけるものであるが、

骨の髄にへばりついた肉というのは、骨の旨味までも最後の最後まで取り込んでいると考えると楽しさもひとしおである。

骨汁は深鉢にこんもりと盛るのがよろしい。

塩味と味噌味で好みが分かれるが深酒の後などは塩味のほうが出汁の旨味を堪能できる。

骨からすぐに剥がれる肉を両手で掴んで直接食べるのも大変美味しいが、

剥がれにくい肉は箸でこそぎ落として最後に出汁の効いた汁と食すのもお薦めである。

骨から肉をこそぎ落とす時間帯は誰もが無口になってしまうもので、

接待には不向きと言えよう。

隙間なく埋め尽くされたこの料理はよく見れば3箇所くらいの空間がある。

そこからそれぞれ小さじ1杯程度の生姜を入れるとなおよろしい。

コーレーグースは具に直接かからぬよう、ポンプタイプの入れ物が好ましい。

大量にあった骨があれよあれよとなくなっていく様は大変楽しいものである。

昨今は和洋折衷様々な料理をいろんな店で食べられるようになったけれど、

骨汁は人の原点を思い出させてくれる。

粗末な出し殻を食べる背徳感などは、大いなる食への興味が軽く凌駕するものなのである。