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バールのようなもの問題

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バールはホームセンターに多数あると思いますが、

バールのようなもの」は事件などの報道で多数見受けられます。

概ね「バールのようなものでこじ開けられた形跡があり・・・」

という使われ方をします。

絶対バールなんだよね。

うん、これは誓ってもいい、バールですよ。

でも、”のようなもの”としか言えない。

だって、現物がないんだもの。

こうして、事件報道の慣用句としてバールのようなものが誕生しました。

いわゆる記号化ですね。

バールのようなもの”は何の気なしに聞き流せる言葉ですが、

執着すると気になって仕方ありません。

記号化で済ませられない問題に思えてきてしまいます。

「1日に1万歩歩く人は長生きするデータがあります」

病気や死にかけの人は歩けないので比較するとそうだよね。

そんな感じです。

この間、ある経営コンサルタントの動画をYou tubeで観ました。

「良い会社ってのはね・・・(溜める)・・笑顔が多いんですね。」

「感謝の言葉で溢れてるんですね」

・・・

そりゃそうでしょうね。

給料を今の倍社員に払いましょう。

みんなずっと笑顔だと思います。

笑顔が止まらないと思います。

しばらくの間は・・・。

でも大体は教義化するので、このセミナーを受けた経営者は、

会社に戻って社員に笑うことを強要するでしょう。

笑顔になったら会社が良くなるというオモシロ逆算です。

あ、そうだ、社員のシャツの背中には「感謝」って文字を入れようね明日から。

 

 

コピー機が売れない(笑)

headlines.yahoo.co.jp

 

出世するのが目的になったり、何かと内向きな組織になるとこうなるんだろうね。

売れなくなってからコピー機が売れないって・・・(笑)

会社というのはエンジンを切ると沈む。

エンジンとは成長戦略であり、リスクヘッジであり、

それらを分析しながら生き残るための”推進力”だと思うのだけどどうなんでしょう。

リコーは野武士集団と言われていた?らしいけど、

まぁ昭和の営業スタイルで食えてた時代があったんでしょうね。

人間は成功体験からなかなか抜けられない。

成功体験をなかったことにすることもひとつのリスク回避になる。

気づいてからではもう遅い、

不況だとか外的要因のせいにしたり、

社員の生産性になんらかの問題があるのかと思って仕組みを変えたり・・・・

無能な経営陣は自分が無能であることは気づかない。

いや、気づきたくない。

そして、責任を取らない。

潰れる会社は世の中から必要とされていない。

富士フィルムなんて、誰もフィルムなんて買わないけど光学技術を応用して、別分野で成功しているし。

写ルンです誰も買わない!」とは言わなかったはず。(笑)

リコーと見事なまでの対比だと思う。

 

 

中坊の自分へ

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小3のときにKISSの武道館ライブをNHKで見た。

ジーン・シモンズ血反吐を吐いたり、

花火があがったり、そりゃーもうサーカス状態で目がチカチカ。

完全にロックンロールにヤラれた小学校3年生。

ちょうど、家には姉貴が所有するKISSのアルバムがあったし、

ミュージックライフ誌が山積みの環境だったので、

小6の頃には外タレ200人くらいの名前や属性を記憶していました。

うーん、そのメモリを勉強に使っていたらという後悔がなくもないな・・・。

中1になって、とにかくエレキギターが欲しくなった。

欲しすぎて、教科書にギターの絵ばかりを描いていた。

ギブソンフェンダーは遙か手の届かないことは分かっていましたが、

「平凡」や「明星」の公告にあるエレキの公告、

あれは頑張ればどうにか手が届くかもと思わせるものでしたねぇ。

一人きりのコンサートinマイルーム

誰に聴かせるのか君の(アフロ)愛を・・・

当然、ギターなんぞ触ったことはないが、

「手にしたその日に弾ける」と書いてある。

なんだか知らないが画期的な練習法があるらしい。

(後でわかったことですが、単にフレットに番号のシールを貼るだけだったみたい)

うおーこのフェンダームスタング(のパチもん)欲しい〜!

マイルームで一人きりでコンサートしたい!

あ、オレ自分の部屋ないや、みたいに悶々としたものです。

 

中でもギブソンレスポールは憧れ中の憧れで、

雑誌で何時間でも眺めいていられるものでした。

(えーこの時点でもギター弾けるどころか触ったこともありません)

イケベ楽器の公告でジャンボ鶴田(本名・鶴田友美)がレスポール・スタンダードを持って微笑んでいます。

レスポール小っちゃ!ウクレレみたい。

ジャンボ鶴田がでかいのです)

ジャンボ鶴田の”ルー・テーズ仕込みのへそで投げるバックドロップ”

は日本国民全員が知っている常識ですが、

その頃はまだテーズに師事しておらず、

”へそで弾くレスポール”みたいな感じでしたね。

その頃のギブソンレスポールは最低価格で35万でした。

1980年頃です。

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その頃は「スズキアルトは47万円」というCMが流行っていました。

やがて車並の値段ですよ・・・。

そして中1の僕は平凡明星の公告の世界へ戻るのです。

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月賦で月2,500円!

トムソンというメーカーですが、巧いことに、

遠くから見るとストラトFender,レスポールGibsonとヘッドに刻印されているように見えます。

徐々に近づいていって初めて、「あーtomsonって書いてある」と気づくのです。

当時の日本人ユニ〜ク。

いずれにせよ、この金額なら母親にお願いすればどうにか・・・

と思うのですが、

その少し前に高額な教材セットをねだって親に買ってもらい、

見事なまでにページを開かないというやらかしをしていた僕は、

家庭内での与信が通らない状態でした。

財務諸表をプラプラされて経営計画書を銀行から書き直される会社と一緒です。(涙)

てるみくらぶのような粉飾決算もしようもありません。

そして中3まで悶々と過ごすのです。

途中、レース鳩を飼ったりと、ニーヌ・マッケンジーみたいに気を紛らしている時期もありました。

そして、遂に高1になる前の春休みだった気がするんですが、

親友と那覇ショッピングセンター内照屋楽器那覇店にギターを買いに行きました。

友人はシンセサイザーで僕はギター。

一緒にバンドやろうな!(この時点でもギター触ったことありません)みたいに、

意気揚々と思いを込めた1本を選びました。

価格は23,000円でした。

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※写真はイメージ

 

白のストラトで”アリアプロⅡ”と説明書きがありましたが、

ヘッドにはなにも書かれていませんでした。

店がそういうのだからアリアプロⅡなんだろうと。

とにかくルックスが気にいって購入しました。

60歳前後のおじさんが、

「昔、那覇に行ったとき」と話せば、

必ず「1ドルあったらそば食べた帰れた」というセンテンスが入ります。

もう、構文です。SVCです。わからんけど。

我々も那覇に行ったらそばを食べた気もしますし、

那覇ショッピングセンターの地下でカレーを食べたのかもしれません。

我々の時代は、「那覇=そば」というより、

那覇=ヤンキーにカツアゲされる」

くらいの世界でしたし、

冗談でもなんでもなく、首里城の門を遠くから見て、

「あーあれが石田中学校か〜」

ってマジで話してましたからね。

読谷の人なんか、瀬長島を宮古島と思ってたくらいですから。

(すいませんこれはウソです読谷の人ごめんなさい)

 

で、喜び勇んでギターを持って家に帰ります。

ケース?ついてないですよ。

裸で運搬ですよ。

後にバンドを始めたとき、ギターをストラップで背中に担いで、

スクーターで移動していましたから。

プリンスのPV見た時「あっパクられた!」って思いましたしね。

 

帰宅すると姉貴がギター触らせてと言います。

「いいよー」と渡した瞬間、

普通に、というか自然体で?

姉貴がストーンとギターを床に落とすじゃないですか。

(思いの外重たかったみたいで)

はい、ギターの下ひび割れてまーす。

まだボク玄関でーす。

家に入って30秒くらいで傷モノでーす。

確か、泣いた気がします。(笑)

今思い返してもかわいそうな話ですよほんとに・・・。

 

それから何十年とギブソンは僕のアイドルだったわけですが、

その頃の泣いている自分に伝えたい。

 

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「オマエ将来ギブソン持ってるよーしかも2台!」

と。

あと、ジャンボ鶴田が残念なことに思いのほか早く亡くなるよ。

 と。

 

ポジティブ信仰者特有の百年錆びたボルトナットから滴るような救いようのない闇

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スリムクラブの好きなネタで以下のようなものがある。

真栄田「今から・・・僕達が・・・お話をして・・・僕達と・・・皆さんの」

「・・・心が通じ合った時・・・何が生まれると思いますか・・・」

内間「・・・・なんですか?・・・」

(絶妙に長い間をおいて)

真栄田「・・・宗教です」


全く意味はわからないけどしばらく爆笑した記憶がある。

 

ポジティブ推しを良く目にする。

SNSの普及=ポジティブ推しの普及と言っても過言ではないと思う。

”彼女とは別れたけどそれは次の出会いのチャンス!”

と、急に前向きなポエムが投稿されたりする。

そういうのを見ると本当は彼女でもなんでもないんじゃないかと考えたりもする。

道で見かける女性のこと言ってるんじゃないよな?お、おまわりさーん!

と言いたくなる。

大衆にそれを発信するということは、

それに励まされる人がいるかも知れないということだろうか。

しかしながら、

ポジチブ推しの人は本人自身、実はそんなにポジチブな性格ではないという事実がダダ漏れている。

頑張れ自分感が止まらない。

そしてポジチブなおじさんはモテない。

自分の闇をさらけ出すほうが実際はポジチブなのに、

前向きパワーを不特定多数に向けて発信してしまう。

「目指せ●●大学」と机の前に張り出す感じと似ていると思う。

友人に面白いくらいネガティブ思考の男がいる。

いつも話をするたびに彼のその思考に感心をする。

ロジックがイレギュラーしまくってる。

モーグルのコースで坂の上からノックを受けるくらい、

そのロジックを受け入れるのは難しい。

本人には悪いが面白いのでそのままで良いと僕は思う。

やはり彼にはいろいろとアドバイスをする人はいるらしいが、

概ね「もっと心を開いて飛び込んでいったらiiyo」

みたいな感じらしい。(そもそもそれができないこと自体が問題なんだけど)

SEALsの若者が、「北朝鮮が攻めてきたら福岡で一緒に焼酎飲んで戦争を止める」

と言っていたが、それに近い。

「Oh!それはステキなことだね!」

と言ってそっと電話帳からこいつの番号を削除するしか手はない。

 

ポジティブを肯定するのは良いとは思うが、

なんでそれをいろんな人に布教するのかが謎である。

ポジティブを推すのに、

対象者を否定し、価値観の画一化を目指すのはなんでなんだろう。

そうではなくて、今の自分を自分自身が肯定できるように応援しなさいよと言いたい。

「今のお前が最高傑作の人間だ」と他人が肯定してあげるのがほんとのポジチブだと思うんだけどなぁ・・・。

あ、でも僕は変にポジチブな人間にははっきりと人格否定するときある。

なにしろ僕は人格どころか背後霊的なものまで否定されたことあるし(笑)

 

 

 

昭和の営業

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石垣島に行った際に必ず寄る飲み屋さんがある。

客の構成はざっと見て、

観光客3割

地元の自由な感じの人たち(主に移住者)3割

その他3割

営業っぽい人1割といったところ。

その場で見るからなのか、

営業の人たちがなぜか悲しく見える。

僕もスーツを着て普通に営業の人間なので言える立場ではないが、

周りとのコントラストのせいか、

やはり悲しく見えてしまう。

営業という仕事でそこはかとなく悲哀を漂わせている人は少なくない。

コールセンターのSVレベルの人たちが、

必要以上に謙りすぎる癖がつくのと同様、

「買ってもらう」という行為をずっと続けていると悲哀が出ても仕方ない気がしないでもない。

昔の考え方で言えば、営業というものは、

①分母をひたすら多くする(下手な鉄砲ナントカ)

②とにかくクロージングをする(契約取ってこい)

③目標数字をあげる(マネジメントではなくヒマな上司のための「仕事のための仕事」)

というところが守備範囲だった。

「クロージングをしたら次に行け」

という感じなのでクロージングマシーンと化すしかない。

ユーザーがハンコを押すのを血眼になって見届けるのが昭和の営業。

 

以前、こちらがユーザ側の立場だったときの話。

仕事を依頼したら対応が素晴らしかったので、

その後も引き続き仕事の依頼をした会社があった。

打ち合わせは現場の人とするのだが、

契約前は担当営業という人と打ち合わせをする。

それはその組織の体制だから仕方ないのだろうが、

その役割分担はこちら側(ユーザ側)との関係性を良くはしなかった。

事務的だから、ということではない。

仕事は現場の人とするわけだから、関係性はどんどん密になっていく。

(現場の人が無能だったら悪くなる)

しかし、今後の仕事の話になると、営業担当が出てきて、

その人と話をしないといけない。

そうなると、ユーザ側からその営業担当に対して次第に、

「なんなんだコイツ」と思い始める。

仕事の内容も完全には理解していないのに、

契約のときだけ現れる。

現場からフィードバックを受けているとはいえもはや代打感が出ている。

「こんなんでは良好な関係になれないと思うし、お宅も効率悪いと思うけど」

「そうなんですけどね、会社の都合で・・・」

かわいそうである。

そりゃあ居酒屋で悲しさがにじみ出るのも仕方ない話である。

 

現代の営業は違う。

契約を取れたということはチャンスをもらったということで、

その期間中に最大限のサービスを施し、

「この会社以外は論外だ」と思わせるくらいのパフォーマンスを発揮しないといけない。

契約というのは相手に「託す」という意味であるということを理解しければならない。

「託す」と「試す」はニアリーイコールなのである。

それを持って自分なりに常に大事にしていることは以下の通り。

※結構偉そうなことを書いているが個人の知見で嘘はありません

 

①営業もプロになれ

商社の営業マンを見るといつも感心する。

彼らは何百ものアイテムを栄枯盛衰の中で淘汰され、また生まれたてのものまで、

全てに関して熟知している。

勉強をしているということがすぐに理解できる。

「あーちょっとそこ解らないんでSEに聞いて連絡します」

というセリフはあまり聞かない。

昭和の営業は情熱しかないので、

「わからないですが、御社のために精一杯頑張ります!」

とでも言うのだろうが、

ユーザからしたら迷惑で鬱陶しいだけだ。

ユーザは高い専門性を欲して相談しているのに、

自分と同レベルの素人に頑張ると言われてもざわつくだけある。

 

②無理くり好かれようとするな

正直言って、人間の好き嫌いでモノを買うのは、

60歳以上の余裕はあるけどちょっと淋しがりやの経営者だけである。

しかも、営業の人柄を買うというより、

その営業マンと自分の関係性に価値を見出しているである。

勉強をしない営業は永遠に自信を持たない。

下の上の営業マンは相手に取り入るために策略を立てる。(人脈とかコネとか)

下の下の営業マンはひたすら相手を褒める。

とにかく褒めれば好かれると思って頑張る。

頑張り方がそれしか知らないのである。

好かれるに越したことはないが、

相手に感動を与えれば嫌われることはないし、

信頼は得られるわけだからそこに注力すればよい。

そのためには①が必須になる。

 

①②ができなくて営業を名乗っているのであれば、

それは完全に昭和の営業である。

 

 

 

本棚には「成りあがり」一冊あれば良い④

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話をしていると、

「君の考え方は間違っている」

と言う人がいる。

結構いる。

僕はそういった人達を「神」と呼んでいる。

間違っていると迷いなく言えることは凄い。

”間違ったことを考えている人”に対し、

その人のバックボーンからなにから一旦捨てろと言っているようなもので、

それはもう、神の発言としか思えないからである。

それに対して、

「君の考えには賛同できない」

「君の考えはおかしいと思う」

等、主観で言う人は凡人ということになる。

僕は完全に凡人である。

まぁ僕がどこかの宗教に入信していたら神の発言をするんだろう。

ついでに勧誘も。

とかく人は自分を形成したなにかに動かされている。

それが宗教であったり、まさに自分の歴史、経験そのものであったり。

成功者も犯罪者もそういった意味では一緒なのである。

 

”いつもオレたちが見てる金持ちの鉄工所の倅がいた。意地の悪いやつだったなあ。

甘えん坊でさ、オレたちから見ればうらやましい存在だった。

そいつが、デコレーションケーキを持ってなめながらきた。

それ、食いたかったな。おいしそうなクリームがついていた。

「永吉、今日はクリスマスイヴだけど、おまえの家はこういうの食えないだろう」

オレは黙って見てた。

「欲しいか。ちょっとなめさしてやろうか」

「うんなめさして!なめさして!」とオレは言った。

そいつは「そうかなめたいか」と言って、パッとちぎってくれた。

そこまではよかった。

彼は、さも食べ飽きたという顔してるわけ。

そのケーキを、ちぎって・・・・・。オレに投げた。ポンと。

頬っぺたに、ベチャっとくっついた。

その時、オレがどうしたと思う?「てめえ、この野郎」と殴りかかる?

いや、違う。世の中って劇画じゃないんだ。

(中略)落ちないでくれ、落ちないでくれさえすれば、

あいつがいなくなってからなめられる。

そいつが横を向いているときに、舌をのばしてなめた。

その頃から「誰よりも金持ちになってやる」って気持ちが強力になってた。

怖いことだ。そんな小さなガキが、考えることじゃない。

いまが戦国時代だったら天下取っちゃくと思う。

そういう背景を持ったガキが。

暗黒街だってトコトンいっちゃうね、こういう性格は・・・・。

怖い。”

 

その後、この倅の鉄工所は倒産し、悲惨な末路を歩むことになるが、

ザマミロと思う反面、虚しさに包まれる永吉。

この頃から、自分の代で勝負を掛けるという意識が強かった永吉は、

裕福な家庭の子に対し、

「親父の代では負けたが、子の代では負けない」

という、凄まじいばかりのネガティブパワーを蓄積していく。

さて、こんな子に「ネガティブな感情は幸せになれないよ」と言えるだろうか。

どうしてこんな考え方をするまに至ったか、に目を向けることが必要なのではないか。

 

その後、キャロルで成功した矢沢をその倅が訪ねてくる。

矢沢は椅子に座ったまま、その倅に対しぞんさいな対応を取り、

その場限りの優越感に浸るが・・・

 

”すごい虚しさがあった。勝った、という感じじゃない。

「いまに見てろ」って気持ちが薄らいで、全部虚しさに変わってた。

あれは何なんだろう、と自分で思った。

キザな言い方だけど、これ、人生なんだろうなあ。

いいんだよ。オレは勝ってきた。

一個ずつ、一歩ずつ勝ってきた。

それがもしかすると、オレを孤独にしていくかもしれない。でも、いい。”

 

今後出てくるが、まさに永吉は成功するまでずっと勝負をかけてきた。

そして勝ってきた。

それだけが彼の唯一の矜持になるのだが、

目指すものを得るために失くすことがあることを彼は充分覚悟していた、

というより、選択の余地すら持たなかった。成功するために。

さて、人生の中で勝負したことはあるだろうか。

ギャンブルではなく、人生の目標にぶれることなく突き進む勝負。

得るために手段を選ばない、不要と思ったことは情に流されず切り捨てる。

サラリーマンの世界は真逆である。

目標は組織が決めることなので当然である。

そして、生活のため一生懸命、自分の持ち場で働くのだが、

次第に、自分自身の人生を見つめなおしていく。

自分の目標ってなんだろう。自分はこのように生きたかったんだろうか。

40歳前後になると、この先の人生が見えてしまう。

上司に好かれて出世するしか好転の道はない。

結果を出すにはもう遅すぎる。

40前後は転職してやり直す最後のチャンスなので会社を辞める人間が多い。

自分の人生は自分で作り上げるものであるという、

当たり前のことを40歳にして気づくのである。

永吉はそれを小学校低学年の頃から分かっていたのだが、

それはあまりに悲しい環境が生んだ子供なりのひとつの逃げ場だったと言える。

普通の子であれば社会からドロップアウトするパターンがほとんどだが、

なぜ、永吉はドロップアウトしなかったのか。

は次回。

 

 

空手の型について

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空手が東京オリンピックの正式種目になってから、

よくテレビで目にするようになりました。

沖縄の場合、空手の型を披露するのは大会より結婚式の宴会の場が多かったので、

世界大会の型の部門で沖縄の人が活躍しているのを見ると、

やはり誇りを感じます。

金メダルを獲る人は迫力が凄いわけですが、

半分くらい「顔じゃないのかな」と思うこともあります。

なにか思い出すなと思ってたら、ああー

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宇津井健ですね。

宇津井健、特に「赤いシリーズ」は半分顔で演技していました。

目を充血させてぷるぷるするので、

セリフに実感がこもった演技になる、

というか、そういう芸風だったんですね。

このぷるぷる芸は、

窓の外から主人公を見守る(今やったら捕まります)という、

セリフがない場面で特に効果を発揮していました。

 

あ、そう空手。

あれも、顔が2000年代に入ったあたりの岸辺シローだったら予選落ちじゃないかと思うのです。

 

あと、気になるのが、組手とのギャップ。

型が上手な人は組手も強いというのが定説らしいのですが、

組手を見てていつも思うのが、

「型ってどこに活かされているんだろう」という素人の素朴な疑問です。

ベスト・キッドでもワックス掛けが体に染み付いたおかげで、

相手の正拳突きをダニエル少年が払うシーンがあります。

とっさの時にワックス掛けを出すなんてよっぽど染み付いてますよね。

ところが実践を見るとそんなそぶりをする人はいません。

床磨きもペンキ塗りもいません。

ただただ、相手と突きあい、時々蹴りです。

 

小学校の家庭科の時間に、

先生がミシンの使い方を説明してて、

実際、その先生が見本を見せたらびっくりするくらい下手くそで、

ミシンが暴走(実際は縫っていた雑巾が暴走)させて、

教室が静まり返ったことがありました。

 

ロジックが型で実践が組手と考えたとき、

型の上手な人がい実践において、この小学校の先生みたいにならないのかと少し気になりました。

 

誰か型について情報ください。