読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

昭和の営業

f:id:kkdsaur21:20170323093418j:plain

石垣島に行った際に必ず寄る飲み屋さんがある。

客の構成はざっと見て、

観光客3割

地元の自由な感じの人たち(主に移住者)3割

その他3割

営業っぽい人1割といったところ。

その場で見るからなのか、

営業の人たちがなぜか悲しく見える。

僕もスーツを着て普通に営業の人間なので言える立場ではないが、

周りとのコントラストのせいか、

やはり悲しく見えてしまう。

営業という仕事でそこはかとなく悲哀を漂わせている人は少なくない。

コールセンターのSVレベルの人たちが、

必要以上に謙りすぎる癖がつくのと同様、

「買ってもらう」という行為をずっと続けていると悲哀が出ても仕方ない気がしないでもない。

昔の考え方で言えば、営業というものは、

①分母をひたすら多くする(下手な鉄砲ナントカ)

②とにかくクロージングをする(契約取ってこい)

③目標数字をあげる(マネジメントではなくヒマな上司のための「仕事のための仕事」)

というところが守備範囲だった。

「クロージングをしたら次に行け」

という感じなのでクロージングマシーンと化すしかない。

ユーザーがハンコを押すのを血眼になって見届けるのが昭和の営業。

 

以前、こちらがユーザ側の立場だったときの話。

仕事を依頼したら対応が素晴らしかったので、

その後も引き続き仕事の依頼をした会社があった。

打ち合わせは現場の人とするのだが、

契約前は担当営業という人と打ち合わせをする。

それはその組織の体制だから仕方ないのだろうが、

その役割分担はこちら側(ユーザ側)との関係性を良くはしなかった。

事務的だから、ということではない。

仕事は現場の人とするわけだから、関係性はどんどん密になっていく。

(現場の人が無能だったら悪くなる)

しかし、今後の仕事の話になると、営業担当が出てきて、

その人と話をしないといけない。

そうなると、ユーザ側からその営業担当に対して次第に、

「なんなんだコイツ」と思い始める。

仕事の内容も完全には理解していないのに、

契約のときだけ現れる。

現場からフィードバックを受けているとはいえもはや代打感が出ている。

「こんなんでは良好な関係になれないと思うし、お宅も効率悪いと思うけど」

「そうなんですけどね、会社の都合で・・・」

かわいそうである。

そりゃあ居酒屋で悲しさがにじみ出るのも仕方ない話である。

 

現代の営業は違う。

契約を取れたということはチャンスをもらったということで、

その期間中に最大限のサービスを施し、

「この会社以外は論外だ」と思わせるくらいのパフォーマンスを発揮しないといけない。

契約というのは相手に「託す」という意味であるということを理解しければならない。

「託す」と「試す」はニアリーイコールなのである。

それを持って自分なりに常に大事にしていることは以下の通り。

※結構偉そうなことを書いているが個人の知見で嘘はありません

 

①営業もプロになれ

商社の営業マンを見るといつも感心する。

彼らは何百ものアイテムを栄枯盛衰の中で淘汰され、また生まれたてのものまで、

全てに関して熟知している。

勉強をしているということがすぐに理解できる。

「あーちょっとそこ解らないんでSEに聞いて連絡します」

というセリフはあまり聞かない。

昭和の営業は情熱しかないので、

「わからないですが、御社のために精一杯頑張ります!」

とでも言うのだろうが、

ユーザからしたら迷惑で鬱陶しいだけだ。

ユーザは高い専門性を欲して相談しているのに、

自分と同レベルの素人に頑張ると言われてもざわつくだけある。

 

②無理くり好かれようとするな

正直言って、人間の好き嫌いでモノを買うのは、

60歳以上の余裕はあるけどちょっと淋しがりやの経営者だけである。

しかも、営業の人柄を買うというより、

その営業マンと自分の関係性に価値を見出しているである。

勉強をしない営業は永遠に自信を持たない。

下の上の営業マンは相手に取り入るために策略を立てる。(人脈とかコネとか)

下の下の営業マンはひたすら相手を褒める。

とにかく褒めれば好かれると思って頑張る。

頑張り方がそれしか知らないのである。

好かれるに越したことはないが、

相手に感動を与えれば嫌われることはないし、

信頼は得られるわけだからそこに注力すればよい。

そのためには①が必須になる。

 

①②ができなくて営業を名乗っているのであれば、

それは完全に昭和の営業である。

 

 

 

本棚には「成りあがり」一冊あれば良い④

f:id:kkdsaur21:20170307092610j:plain

話をしていると、

「君の考え方は間違っている」

と言う人がいる。

結構いる。

僕はそういった人達を「神」と呼んでいる。

間違っていると迷いなく言えることは凄い。

”間違ったことを考えている人”に対し、

その人のバックボーンからなにから一旦捨てろと言っているようなもので、

それはもう、神の発言としか思えないからである。

それに対して、

「君の考えには賛同できない」

「君の考えはおかしいと思う」

等、主観で言う人は凡人ということになる。

僕は完全に凡人である。

まぁ僕がどこかの宗教に入信していたら神の発言をするんだろう。

ついでに勧誘も。

とかく人は自分を形成したなにかに動かされている。

それが宗教であったり、まさに自分の歴史、経験そのものであったり。

成功者も犯罪者もそういった意味では一緒なのである。

 

”いつもオレたちが見てる金持ちの鉄工所の倅がいた。意地の悪いやつだったなあ。

甘えん坊でさ、オレたちから見ればうらやましい存在だった。

そいつが、デコレーションケーキを持ってなめながらきた。

それ、食いたかったな。おいしそうなクリームがついていた。

「永吉、今日はクリスマスイヴだけど、おまえの家はこういうの食えないだろう」

オレは黙って見てた。

「欲しいか。ちょっとなめさしてやろうか」

「うんなめさして!なめさして!」とオレは言った。

そいつは「そうかなめたいか」と言って、パッとちぎってくれた。

そこまではよかった。

彼は、さも食べ飽きたという顔してるわけ。

そのケーキを、ちぎって・・・・・。オレに投げた。ポンと。

頬っぺたに、ベチャっとくっついた。

その時、オレがどうしたと思う?「てめえ、この野郎」と殴りかかる?

いや、違う。世の中って劇画じゃないんだ。

(中略)落ちないでくれ、落ちないでくれさえすれば、

あいつがいなくなってからなめられる。

そいつが横を向いているときに、舌をのばしてなめた。

その頃から「誰よりも金持ちになってやる」って気持ちが強力になってた。

怖いことだ。そんな小さなガキが、考えることじゃない。

いまが戦国時代だったら天下取っちゃくと思う。

そういう背景を持ったガキが。

暗黒街だってトコトンいっちゃうね、こういう性格は・・・・。

怖い。”

 

その後、この倅の鉄工所は倒産し、悲惨な末路を歩むことになるが、

ザマミロと思う反面、虚しさに包まれる永吉。

この頃から、自分の代で勝負を掛けるという意識が強かった永吉は、

裕福な家庭の子に対し、

「親父の代では負けたが、子の代では負けない」

という、凄まじいばかりのネガティブパワーを蓄積していく。

さて、こんな子に「ネガティブな感情は幸せになれないよ」と言えるだろうか。

どうしてこんな考え方をするまに至ったか、に目を向けることが必要なのではないか。

 

その後、キャロルで成功した矢沢をその倅が訪ねてくる。

矢沢は椅子に座ったまま、その倅に対しぞんさいな対応を取り、

その場限りの優越感に浸るが・・・

 

”すごい虚しさがあった。勝った、という感じじゃない。

「いまに見てろ」って気持ちが薄らいで、全部虚しさに変わってた。

あれは何なんだろう、と自分で思った。

キザな言い方だけど、これ、人生なんだろうなあ。

いいんだよ。オレは勝ってきた。

一個ずつ、一歩ずつ勝ってきた。

それがもしかすると、オレを孤独にしていくかもしれない。でも、いい。”

 

今後出てくるが、まさに永吉は成功するまでずっと勝負をかけてきた。

そして勝ってきた。

それだけが彼の唯一の矜持になるのだが、

目指すものを得るために失くすことがあることを彼は充分覚悟していた、

というより、選択の余地すら持たなかった。成功するために。

さて、人生の中で勝負したことはあるだろうか。

ギャンブルではなく、人生の目標にぶれることなく突き進む勝負。

得るために手段を選ばない、不要と思ったことは情に流されず切り捨てる。

サラリーマンの世界は真逆である。

目標は組織が決めることなので当然である。

そして、生活のため一生懸命、自分の持ち場で働くのだが、

次第に、自分自身の人生を見つめなおしていく。

自分の目標ってなんだろう。自分はこのように生きたかったんだろうか。

40歳前後になると、この先の人生が見えてしまう。

上司に好かれて出世するしか好転の道はない。

結果を出すにはもう遅すぎる。

40前後は転職してやり直す最後のチャンスなので会社を辞める人間が多い。

自分の人生は自分で作り上げるものであるという、

当たり前のことを40歳にして気づくのである。

永吉はそれを小学校低学年の頃から分かっていたのだが、

それはあまりに悲しい環境が生んだ子供なりのひとつの逃げ場だったと言える。

普通の子であれば社会からドロップアウトするパターンがほとんどだが、

なぜ、永吉はドロップアウトしなかったのか。

は次回。

 

 

空手の型について

f:id:kkdsaur21:20170227105118j:plain

 

空手が東京オリンピックの正式種目になってから、

よくテレビで目にするようになりました。

沖縄の場合、空手の型を披露するのは大会より結婚式の宴会の場が多かったので、

世界大会の型の部門で沖縄の人が活躍しているのを見ると、

やはり誇りを感じます。

金メダルを獲る人は迫力が凄いわけですが、

半分くらい「顔じゃないのかな」と思うこともあります。

なにか思い出すなと思ってたら、ああー

f:id:kkdsaur21:20170227105731j:plain

宇津井健ですね。

宇津井健、特に「赤いシリーズ」は半分顔で演技していました。

目を充血させてぷるぷるするので、

セリフに実感がこもった演技になる、

というか、そういう芸風だったんですね。

このぷるぷる芸は、

窓の外から主人公を見守る(今やったら捕まります)という、

セリフがない場面で特に効果を発揮していました。

 

あ、そう空手。

あれも、顔が2000年代に入ったあたりの岸辺シローだったら予選落ちじゃないかと思うのです。

 

あと、気になるのが、組手とのギャップ。

型が上手な人は組手も強いというのが定説らしいのですが、

組手を見てていつも思うのが、

「型ってどこに活かされているんだろう」という素人の素朴な疑問です。

ベスト・キッドでもワックス掛けが体に染み付いたおかげで、

相手の正拳突きをダニエル少年が払うシーンがあります。

とっさの時にワックス掛けを出すなんてよっぽど染み付いてますよね。

ところが実践を見るとそんなそぶりをする人はいません。

床磨きもペンキ塗りもいません。

ただただ、相手と突きあい、時々蹴りです。

 

小学校の家庭科の時間に、

先生がミシンの使い方を説明してて、

実際、その先生が見本を見せたらびっくりするくらい下手くそで、

ミシンが暴走(実際は縫っていた雑巾が暴走)させて、

教室が静まり返ったことがありました。

 

ロジックが型で実践が組手と考えたとき、

型の上手な人がい実践において、この小学校の先生みたいにならないのかと少し気になりました。

 

誰か型について情報ください。

 

 

 

冷静に考えてみたら20年前の沖縄ってひどかったナァ

f:id:kkdsaur21:20170210121732j:plain

写真の工具は”ラチェットレンチ”と言います。

通称”ラチェット”

20数年前に僕は電話工事の仕事をしていましたが、

その会社の先輩がこの工具のことを、

 

「ダゼット」

 

と言ってましたので、

僕も必然的に「ダゼット」と言うし、

周りもそれに従って「ダゼット」と言います。

ある意味、完全にパンデミックですね。

1年近く、ラチェットをダゼットと言っていたわけですから、

しかも・・・場合によってはドヤ顔で、

「ほら、ここをダゼットでよく締めないと」

言ってたかも・・・あぁ恥ずかしい。

その頃の先輩方はなかなか凄かった。

「あの●●さん、今では大分丸くなっているけど、昔は平気でペンチを人に投げてきたらしいよ」

何度このようなセリフを聞いたことか。

「口より先に手が出るタイプ」など、慣用句的に言ってもらえば流せますが、

ペンチを投げるっていう話になると、こちらも、

ツーシームかフォーシームかでペンチの軌道が・・・」

と思わず考え込んでしまいます。

「こんなペーペーにペンチ投げないでありがとうございます!」

とお礼を言うわけにもいきません。

が、実際お礼と言っている人間もいましたけどね(笑)

建設業界同様、我々の業界も大手と下請けとしっかり分かれていました。

当時の大手にいた沖縄のベテラン勢にはかなり癖のある人が多かったですね。

定年間際くらいの人たち。

(方言で)下請けの僕らに向かって「お前ら誰のおかげでメシ食えてると思ってるのか!」

元請・下請・昭和の風景。ノスタルジー・・・

「それはあなたではなくあなたの組織」

と言ってはいけません。

下請けは一生懸命なだめすかせて取り入らないと行けないのです。

「またぁ先輩〜」「先輩頼みますよ〜」

必須ワードです。

サラリーマンってのはつらいなぁと何度も思いました。

 

その頃、時代は”下請会社”を”協力会社”と呼ぶ風潮になりかけでした。

言葉が違うだけで商流は一緒なんですが、

あからさまなイメージは業界全体に悪い風潮を生むよね的なものだったんでしょう。

 

そして今ではすっかりマッチョ志向の業界人が減りました。

(減っただけで、いなくなってはいない)

 

大体は本土から課長がきて、社会人としてのリテラシーというか、

ビジネスのお作法を現場に浸透させていくというように見ていました。

 

ある日、その若い課長が朝礼で、

「電気をこまめに消しましょう」

と言ったら、ひとりのベテランが、

「消していくら削減になるのか証拠を出せ!」

と課長につっかかっていました。

 

「おーここに戦士が」

と苦笑いせずにはいられませんでしたね。

自分では威張り散らしてなにもしないのに被害者意識だけ異常に高い年配者が

沢山いましたね。

 

最近ではあんな感じの年配者がすっかりいなくなったなと思います。

単に自分がその年代に近づいていっているだけという説もありますが。

 

 

 

 

 

 

人生で一回だけ怒鳴ったときの話

f:id:kkdsaur21:20170204131049j:plain

人生の中で腹の底から怒鳴ったことってありますか?

(子供に対してと自己啓発セミナー除く)

案外ないですよね、怒鳴ることなんて。

 

僕は3年ほど前に初めて怒鳴りました。

知らない人にです。

 

会社の後輩であるM田くんと焼鳥屋さんでいつものように飲んでいて、

その後、お知り合いが経営するバーへ移動しました。

そこで数杯飲んで、タクシーを呼んでもらい、

再度、先程までいた焼鳥屋さんまで戻りました。

よく覚えていないのですが、翌日なんらかの支払いがあり、

僕の財布には20万円ほどの現金が入っていました。

「大金があるので財布をなくしてはいかん」

引き寄せの法則なのかマーフィーの法則なのかわかりませんが、

結局、そのタクシーに財布を忘れてしまいました。(泣)

タクシーが走り去るその瞬間に財布を落としたことに気づき、

「ヘイ!タクシー」と声を発するまでもなく、タクシーはブーンと行ってしましました。

”焦る僕 ほどける手 離れてく君”

そんなスキマスイッチ的な感傷に浸る間もなく、

慌ててさきほどまでいたバーの店主へ松Dくんが電話をかけてくれました。

数分後、そのタクシーへ連絡がつき、こちらまで持ってきてくれることになりました。

それまでの時間は概ね5分くらい。

助かったーと思いながらM田くんとそのタクシーを待ちました。

さらにそこから5分ほどしてタクシーが到着。

僕は運転手さんにお礼として、3,000円を渡しました。

トータル10分くらいなのでお礼はそれくらいでいいかなと個人的には思ったんですが、

どうやらそれが間違いだったようで・・・。

助手席のドアを開け、お礼をして行こうと思ったら、

運転手さんがこう言いました。

運「さっき本土から来た若者を乗せたが、彼らが財布を見つけて、中身を見ていましたよ!」

僕「あぁすみません〜」

運「財布の中身を見て、ああいっぱい現金入ってるって言ってたんですよ!」

僕「あぁ本当に申し訳ないです」

運「一瞬、彼らが財布から現金を抜いたけど僕が戻させたんですよ!」

僕「・・・はぁ、それはありがとうございます」

このあたりで3,000円では少ないということをこの運転手さんは言いたいのかなと思いましたが、じゃあいくらならいいのかという各論には、この流れからはなかなか行けません。

運「彼らはお金に困ってたみたいなので云々・・・!」

段々、ストーリーが出来上がっていくこの空気。

このままこの話を続けても後は、「不治の病」とか「リーマンショック」等、

色々なストーリーが出てきそうだなと思って固まってしまいました。

その時、松田くんがそっと助手席のドアを閉めてくれました。

「松田GJ!」

と僕が思った矢先、

今度は後部座席のドアが開いて、運転手さんが、

「本当は彼らは〜云々」とまた言い始めた時・・・。

 

「しつこいんだよ!」

 

とついに僕は怒鳴りました。

 

元々メタルバンドのヴォーカルであり、

大謝名のジェフ・テイトと呼ばれていた僕です。

声量は、それはもう地域に響き渡ります。

犬もワンワン言います。

小鳥たちもバサバサ言ったかもわかりません。

その後が衝撃でした。

運転手さんはニヤっと笑って走り去っていったのです。

川端康成の「化粧」という短編がありますが、

自分ちのトイレの窓が火葬場の裏側に面していて、

ちょうど、トイレから泣きじゃくっている女が見えます。

散々泣きじゃくった後、

 

”彼女だけは、隠れて化粧に来たのではあるまい。

隠れて泣きにに来たのにちがひない。

その窓が私が植えつけた女への悪意が、

彼女によつてきれいに拭い取られていくのを感じてゐると、

その時全く思ひがけなく、彼女は小さひ鏡を持ち出し、

鏡ににいつと(ニィっと)ひとつ笑ふと、

ひらりと厠を出ていってしまった。

私は水を浴びたやうな驚きで、危うく叫び出すところだつだ。

私には謎の笑いである。”(川端康成「化粧」)

 

全くそれと同じようにタクシー運転手の笑いが僕にとつても謎だったのです。

 

 

 

本棚には「成りあがり」一冊あれば良い③

f:id:kkdsaur21:20170204102811j:plain

あるとき、

「子どもの頃は先生が成績をつけてくれる。しかし大人になるとどうか?

上司が成績をつけるんなら媚びればよいけど、それは客観的な評価か?

大人の成績を客観的に測るひとつの尺度としては給料の金額だ」

と言ったら、その場に居合わせた人間数人が猛反発してきた、ということがある。

では、他に”客観的”な評価ってなにがあるのか訊いてみたら、

”家族の笑顔”とか、”仕事の達成感”と言ってきた。

いやだからそれは主観なの。

自分の心持ちひとつでどうにかなるわけ。

で、客観的に見れるのって何よ?

一同・・・・・

この時思った。

東京からビジネスで会う人と沖縄の青年の明らかな違いがなんなのか、

ずーっとわからないままでいたのが、

スコーンと「あぁこれか!」と言うのがズバリわかった。

つまり、客観的なものは要らない、ということなんだと。

かっこよく言えば、今を生きている。と言えるが、

自分のキャリアをいかに伸ばすかという考えは希薄であり、

悪く言えば向上心がない。

向上しようとか自分のキャリアに目線を向ければ周りから刺される空気というものが沖縄にはあるなと思った。

この文章を読んでも、勝手に自分が傷つけられていると思う内向きの人間は多いと思う。

傷つけられることばかりに注意が行っているヤツは本当に多い。

極論だが、

上昇志向がない→嫁から呆れられる→夫婦仲悪化→DVが一番多い県

となっている気がしないでもない。

自分の人生なんだから、自分で頑張ろうね。

「成りあがり」の主題は、図らずもそのようになっている。

 

”どうすればアメがなめられるのか。

いや、それどころじゃない。

どうしたら腹いっぱいメシが食えるのかってことばかり考えてたよ。

小学校の可愛い盛りの子供が、そんなことばかり考えるなんて、異常だよ。

そう思いません?

単にそいつの家が貧乏だからって済ませちゃうんじゃ、あまりにも差別だよ。

でも、現にオレの背景はそれなんだ。”

 

矢沢永吉は金を稼ぐことが成功だとは思っていない。

しかし、「世の中金ではない」というキレイ事を忌み嫌う。

それはやはり自分のバックボーンにあるということを自分自身で理解しており、

ある意味、この思考回路は仕方ないと思っている。

諦めと自己肯定。

自虐と自尊心。

 

”でも、そういう「金で買えないもの」って言い方には、すごく抵抗があるんだ。

金があれば、二兆円ぐらい持ってたら、京王プラザなんかでも買える。

でも言われるだろう。「彼はきっと孤独なんだ」

うん、孤独かもわかんない。オレ、進んで孤独になる。

オレにはそっちの孤独の方がいいから。

長屋の孤独、嫌いだもん。大邸宅の孤独を選ぶ。

もうごめんだよ。長屋の孤独は・・・。”

 

圧倒的貧乏(カイジ風)を経験し、そこから光を求めて努力した矢沢永吉

真似しようにも真似しようがない生き方であり、

まるっきり参考にはならないが、

自分の闇の部分も全て受け入れているように思える。

そして言葉には一遍の嘘も感じない。

白々しさも感じない。

これは全編通じて言えることである。

 

”・・・ほんとは銭じゃないのよ。

ほんとは銭じゃない。オレに、こんなに銭だって思わせた何かに腹立ってる。

そう思わせて二十八年間やってこさせた何か。

ホント、悲しい、実は。”

 

・・・まだ28歳かい!

とツッコむのはおいといて、

手に入れたいものを手に入れるとそこで意味をなさなくなることも多々ある。

ということを深く実感させる言葉である。

 

劣悪な家庭環境にある子供は概ねグレる。

同じ境遇同士でファミリーを作って孤独な心を埋める。

ヤンキーがグループになるのはそういった理由がある。

ヤクザの世界でもわかるように、

他人と親子や兄弟になり、それが肉親よりも強い絆としている。

僕も「仁義なき戦い」のお正月のシーンなどを見ると、

ふわっと、「あぁ楽しそうだな」と思ってしまうくらいである。

今年、山口組の餅つき大会のニュースを見てほっこりしてしまったくらいである。

矢沢永吉という人は”グレる”という既定路線からは少し離れたようで、

それはあまりにも劣悪な環境だったことが起因しているのでは思われる。

人間はあまりに辛いと現実逃避で妄想に走ることがあるという。

 

”学校、嫌いだったな。ずっと好きじゃなかった。

勉強はいやだったし、いつも窓の外を見て、ぼんやり考え事をしてるのが楽しかった。

あの庭に円盤が降りてきて、宇宙人が出てきたらどうしようか。

やっぱり、握手して乗せてもらうかとか・・・。”

 

自己肯定は難しいが、自分を何かに仕立てて肯定することは難しくはないと思う。

ただ、そこまで思い込めるかということ自体が普通、無理なのだが、

矢沢永吉の幼少期の現実逃避癖が後のスーパースターである矢沢永吉を創ったのではないだろうか。

自分を売り込むのではなく、自分の中の自分をプロデュースして売り込む、

という感覚はその後の回想録でもよくわかる描写が多数出てくる。

 

つづく

 

 

 

 

 

本棚には「成りあがり」一冊あれば良い②

f:id:kkdsaur21:20170130113229j:plain

 

昨夜、武井壮の幼少時代の話がテレビで流れていた。

物心ついたときには父子家庭、その後、父は別で家庭を築き、

武井は兄と2人でアパート暮らしをしていたそうだ。

父親は子どもふたりに生活費だけを払っていたという。

今なら逮捕案件である。

ネグレクトであり、映画「誰も知らない」である。

テレビでは武井壮が自分の哲学のようなことをたくさん話していた。

テレビを観ながら、そんな武井壮矢沢永吉と全く同じだ、というふうに思った。

図らずも、また、悲しいことに、子どもの頃に独立心が育ち過ぎると、

異様なまでに自分を俯瞰するようだ。

他人との交わりなどではなく、自分に対してのみ大きな感心が行くというか、

自分を他人のように育てていくような考え方・・・。

独立心こそが生きていくための支えになっていた、

生き方そのものだったんじゃないかと思える。

不憫過ぎて見てられないと思っていたが、

誰しも事の大小あれど、人生の中で不幸だった時期もあるはずだ。

問題は、それらに引きずり込まれていないというところである。

矢沢永吉は、

「オレは悲しみのヒーローだったかもしれないがイジケのヒーローではなかった」

と言った。

それは武井壮と同じマインドのように思える。

しかしそれらは、よくある「ポジティブに行きようね〜」

「明けない夜はないよ〜」「負けないこと逃げ出さないこと(後略)」

のような中身空っぽのキャッチーな教義めいた腐りかけたお土産品のペナントみたいなものではなく、

まさに「自分自身のため」である。

そういって頑張る人たちは、成功すれば僻まれることになる。

「あの人、自分のことしか考えてない」

と言われるのである。

世の中は難しい・・・

永吉は小学校低学年から祖母との暮らしを始める。

祖母は今で言うシルバー人材センターのようなところからたまに仕事を請けるくらいで、当然、ド貧乏な暮らしである。

”少しずつ四年生、五年生になってわかるわけだよ。

そう、家は貧乏なんだ、と。おばあちゃんに、あの頃、いつも言ってた。

「おばあちゃん、おもしろくない」

これが口癖だった。おもしろくない。なんで。こればっかり言ってたみたい。

おばあちゃん、そうすると「おもしろいとこ行け」って、

たまに涙浮かべてた時もあったな。”

祖母は息子たちの援助を全く受けずに生きていたそうだ。

永吉はその祖母の姿に「自立すること」が重要であると少しずつ考えるようになる。

貧乏を嘆くのではなく、どうやったらより良く生きられるか。

こんな子ども・・・絶対なにやっても成功するよね!(笑)

そして、暗闇ではなく小さな灯火に喜びを見出す。

子どものくせに達観してしまう永吉。

”朝起きると、おばあちゃんが釜のところで木くべて、

ごはん炊いてる音が、コトコトコトコト聞こえるわけよ。

お母さんという感じじゃないけどさ。

「永吉。起きよ」

その声がうれしくてね、むくっと起きるの。

そうするとオレは、新聞を敷くわけ。

新聞紙をパッと敷いて正座して待ってる。

「ほーれ、ご飯食え」

と、ごはん、パッとくれる。

おかずは、必ず、一品料理というか、ごはんと何かひとつ。

その何かというのは味噌汁かもわかんない。

コロッケかもわかんない。ひと品。(中略)

もっとオカズにしたい場合は、醤油をちょっと足すとかね。

それ、おいしいおいしいと食べるからおばあちゃんはそれをメインにするわけ。”

日々の生活にありがたさを感じる永吉。

しかし、子どもなりに他所と自分が違うということを感じさせられることもあります。

 

”「おばあちゃん、オレ誕生日なんだ」

「それがどうした」

わかるだろ?関係ないわけよ。そんな誕生日なんて。

でも、さすがよ。おばあちゃんがオレにしてくれたことは。

卵をふたつにしてくれた、その日だけ。

卵の買い方。オレよく覚えてる。

「おまえ、永吉、好きな卵買ってこい」と言われたことがある。

十三円とか十二円とか、一円違うだけで大きいのよ。

それ一個選ぶの。で、誕生日はふたつ。

「あ、おばあちゃん、今日は卵がふたつ入ってる」

「そうだよ。誕生日だからね。卵と思って食うな。ニワトリ2羽殺してくれたと思え」と言うんだよ。

とてもうれしかったよ。ニワトリの元って、卵だもんね。

そういう朝飯だったな、オレたち。”

 

えーっとすみません、ティッシュ箱ごとください!