メシを食うこと

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幼稚園か小学一年生あたりの頃の話。

遠足に行く途中でクラスメイトとバスの中でケンカになった。

どこかの公園みたいなところで弁当を食べる段取りだったが、

子供ながらに気分は最悪で、不貞腐れてケンカ相手の男の子を遠目に見ていた。

しかしそんな状況でもその男の子はケンカのことなどどこ吹く風で、

一生懸命、母親が作った弁当を頬張っている。

その姿を見たとき、なんとも言えない感情に包まれていく気がした。

赦すというか、嫌いという感情が消えていくというか、

むしろ、愛くるしささえ感じながら男の子が弁当を食べるのと見ていた記憶がある。

今もそうだが、人が何かを食べている姿がとても好きだ。

何故かはわからない。

無防備な時間だからだろうか。

人がメシを食っている様は数多のしがらみの中のDMZ(非武装地域)みたいな空気感がある。

みんなが大嫌いな安倍首相も、うどんを食べている姿だけで何かしら絆される気がする。

(オレは阿部さん別に嫌いじゃないけど)

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ANAの機内誌で「お弁当の時間」というコーナーだけ大好きで、

ANAに搭乗する際は必ずそのページだけ目を通していた。

機内誌って何かの謀略があるのかと穿って見てしまうくらい内容はつまらないが、

「お弁当の時間」だけは必ず読む。

それと、NHKの「サラメシ」という番組も大好きで、あれほど目が釘付けになる番組は他にない。

多くの人々それぞれに様々な営みがあるが、昼は必ずやってくる。

どんな人であれ、昼になったらお腹が空く。そして誰でも昼ごはんを食べる。

当たり前なことかもしれないが、そこだけは安堵してしまう。

エスタブリッシュメントもテロリストも昼ごはんを食べるときはただの人間になる。

まぁそこまで高尚な意味でメシを食う人を見るのが好きというわけではないが、

ある意味「癖」なんだろうと思う。

あと、海軍カレーや寮母さんが大勢の人向けに大量の料理を作っている絵も好きだ。

むしろ、あれをやりたい。

ジャガイモやニンジンを大量に切って、大きな鍋で炒めたい。

どこで売っているのか見当もつかない巨大なヘラみたいなやつで焦げ付かないようにかき混ぜたい。

そんな自分だが、山羊汁だけは違う。

沖縄では棟上式の際に大きな鍋で山羊汁を作る。

あれは近寄りたくもない。

ついでに言うと山羊汁を食べている人だけは、遠目にただただ野蛮だなと思って見ている。

(山羊好きな人には申し訳ないが)

 

 

ブランディングと理念と自己研鑽と宗教と部屋とYシャツとたわし

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自分について

 

林修がテレビで「無能な人ほど出世する」と身も蓋もない意見を述べていた。

僕が知っている範囲で、本当に有能な人が出世しているケースもあるので100%正解だとは言わないが、90%くらいは真実であると思う。

というか、この事実はみんな知っていることなんじゃないか。

出世の階段を登るということは、もう現場から離れるということであり、

管理側に異動する寸前までの経験で蓄積していた自分自身のリソース・ノウハウ・スキルを総動員しながら部下を育てたり、業務を管理するということになる。

市場の流行や技術の革新的な進歩というものを客席から見守るような立場になってしまう。

だから出世は怖い。

逆の言い方をすると、出世を嫌がる人間は自分自身のキャリアを生贄にして会社と心中することに疑問や不安を持っているということだと思う。

林修曰く、会社は無能な人間とは違うまだ出世できていない人間、もしくは一部の有能な人間が回している。とのことらしい。

うん、これも正しいと思う。

僕の仕事は営業なのだけど、営業、または会社としての戦略・戦術の正解(に近いと言えるもの)が最近やっとこさ見えてきた。

今回はそれをテーマに書こうと思っているのだが、

いずれにせよ、管理職より現場経験を経て気づいたことなので現場を続けていて良かったと心から思う。

ある程度自分の経験値が満足に近づいているので、そろそろ管理職をやってもいいのかなとも思っている。

無論、無能な管理職じゃなくて有能な管理職ではないと意味がないという前提の話である。

ピーターの法則 

・人は自己能力の限界まで出世する。
・無能な人はそのポジションに留まり、有能な人は限界まで出世するがそのポジションで無能化する。
・組織の中では、まだ限界に達していない人たちによって進められ、機能していく。

無能化するポジションに座るのは50代後半でいいかなと個人的な計画では考えている。

そしたら喜んで異業種交流パーティーにも参加する(笑)

サイモン・シネックのゴールデンサークル

※上部の図参照

TEDで有名なゴールデンサークルの話はビジネス成功の大きなヒントを示している。

個人的な思いで言えば、はっきりとした形として自分で持っていたわけではないが、

仕事をする上で朧気に「こうしないと結果は出ない」と自分自身で思っていたことを分かりやすく整理してくれた理論である。

大体の内容は以下の通り。

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・成功する人、なにかを成し遂げる人には共通点がある。

 

・what(何を)haw(どうやって)why(なんのために)というサークルの中で、Whatとhowは大体みんな知っている。

 

・whyを知っている組織は少ない。「利益を得るため」はwhyではない。利益は結果を図るものに過ぎない。

 

・優れたリーダーや組織はwhyから考え、次にhow,whatという順に考える。

 

DELLやHPが性能もデザインも優れたデバイスをリリースしてもみんなはアップルを買う。

 

DELLやHPは性能・機能等を市場にアピールするが、それはwhatとhowだけでありそれでは売れない。ではみんななぜアップルを買うのか?

 

・アップルはwhyが明確である。「私たちは世界を変えられると信じています。そして常に既存の考え方とは違う考え方をし、世界をより良くしたいと思っています」

という"why"の後に世界を変えるデザインが出来上がりましたと”what”が来る。

 

・アップルのwhyに共感、共鳴した人はアップルが作る様々なデバイスを購入する。

 

・これを「ビジョンのシェア」と言う。人を行動に移す重要な動機づけはビジョンのシェアである。

 

・自社の製品やサービスがなぜ売れなかったかを考えたとき、みな概ね「資金が足りなかった」「人材を間違えた」「市場の傾向に変化があった」等の理由を言うが、例としてこんな話がある。サミュエル・ラングレーという人がいる。この人のことは恐らく誰も知らない。彼はアメリ陸軍省から多額の資金援助を得、優秀な人材を集め、全米にマスコミから大きな注目を浴びながら飛行機開発に取り組んだ。

ラングレーのチームが飛行実験を繰り返す中、そこから数百マイル離れたオハイオ州に住んでいるライト兄弟がラングレーよりも先に有人飛行を成功させた。

ラングレーはそこで飛行実験を辞めた。ライト兄弟自転車屋を経営しており、資金はあまりなかった。メンバーも大卒者は一人もいなかった。マスコミにも存在を知られていなかった。

つまり前述の「資金」「人材」「市場」の言い訳は関係ないということ。

 

ライト兄弟は人間が空を飛ぶことで世界が変わる、世界を良くするという"why"が明確だった。メンバーはその"why"の信念に惹き込まれていった。ラングレーは「飛行機を作る」という"what"と"how"のみで動いていた。その証拠に、whyがあればライト兄弟が作った飛行機をより良くするなどのことができたはず。

つまり、whyがなかったということである。

 

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企業理念を勘違いしている会社が多い

 

そうか、whyは企業理念とかそういうことか!

よーし、社員に徹底させるゾ〜!

というところから企業の勘違いが始まる。

前述のwhyは世に伝播しないと全く意味を持たないのに対し、

その辺の企業は社内(内向き)に発信していく。

朝礼で社員に復唱させる。

whyは会社が発展する大切な鍵であるにもかかわらず、

企業理念を社内で教義化し、結局は形骸化させてしまう。

単なる宗教である。

集団催眠にかかるか、面従腹背の社員を作るかどっちかである。

「想えば叶う」と本気で考え、「何度も言えば現実になる」と思考停止が止まらなくなり、その非生産なトランス状態を同調圧力で覆い尽くしてしまう。

企業は金儲けのためにあるのではないが、金が儲けられない会社は存続できない。

企業の最終的な利益というのは、企業が社会に対して行った行為の結果を示すものであり、客観性の塊である。

もっとわかりやすく言うと、収益が低い会社、倒産する会社は”社会から不要”と判断されたという結果に過ぎない。

ではどうすべきか。

これは単純なことで、whyを外に伝播すれば良いだけのこと。

whyをブランディング化し発信することに尽きると思う。

以下はi pad airのCM。

製品の情報は一切ない。whyからhow,whatへ向かう思考のアップルはその価値観に多くの人が吸い寄せられている。

アップルの想いに購買という形で便乗している。

www.youtube.com

ブランディングとは外に発信する企業の理念や価値をパッケージ化することを言う。人を操るためのツールに成り下がってしまった企業理念というものを、改めてブランディング化し、発信を続けることが重要であると思う。

ビジョンのシェアにより、市場はもとより自社の社員にもかえって浸透しやすくなるはず。

 

 サイモン・シネックのスピーチ。

www.ted.com

 

おきなわそば店全事業者に言いたい

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真玉橋カルメ魂の演説

渡辺謙ハズキルーペのCMをイメージしてください。

 

本日は足元の悪い中お越しくださいまして心より感謝申し上げます。

今回は沖縄そばの店舗運営に関してどうしても提言させていただきたく、

このような場を設けさせていただきました。

 そして早速ではありますが、結論から先に申し上げさせていただきます。

私は全ての沖縄そば屋さんに”てびちそば”の扱いを辞めてもらいたいのです。

”てびちそば”をメニューから撤退させていただきたいのです。

沖縄そば界でのてびちに対する扱いについては、

てびちを愛する者として大変心苦しく、

様々な沖縄そば屋に入店し、”てびちそば”を注文してはその扱いに愕然とするばかりでした。

看過しかねる状況となった今、こうして提言をするに至りました。

さて、それらの理由を申し上げます。

沖縄そばは現代において”三枚肉そば”と”ソーキそば”が主流となっています。

”三枚肉”は豚バラのブロックを泡盛や黒糖なので煮込み、薄切りにした具であり、沖縄そばのデフォルト、デファクトスタンダードとして君臨しています。

”ソーキ”は後発であり、当初は変化球的なアプローチ、それもツーシームバックドアのような存在でしたが、今ではデフォルトを凌ぐ人気があります。

ドリフで言えば志村けんのようなものです。

当たり前の話ですが、沖縄そば屋に来る人は「沖縄そばが食べたいな」と明確に思って入店するわけですが、「三枚肉食べたいな」、「ソーキ食べたいな」という人はまずいないはずです。

あくまでも主語は沖縄そばであり、三枚肉やソーキは単なるアイコンに過ぎないのです。

アイコンは重要ですが、仕事はしません。

あれば良い、存在していれば良いのです。

では”てびち”はどうでしょう。

”てびちそば”が食べたいと言う人は明確にてびちが食べたいのです。

三枚肉やソーキと明らかに異なり、てびちがメインなのです。

アイコンではなくタスクそのものなのです。

”てびちそば”には3つのスタイルがあります。

ひとつは、

三枚肉、ソーキ、えーっとじゃあ”てびち”みたいな扱いになっている店。

単にアイコンを変えておけば良いだろう、

バリエーション増やしておけば良いだろうという安易な考え。

そのような考えで沖縄そばにてびちを乗せるのは非常に危険なことです。

三枚肉やソーキでは絵になる沖縄そばが、

てびちを乗せるだけでもう全ての脈絡を喪失します。

それを許してしまうと、沖縄そばの上にタコスの手巻き寿司や、

タンドリーチキンなどを乗せることを許すことになってしまいます。

しかもそういう店に限っててびちが美味しくない。

厳密に言うと、てびちに充分な仕事がされていないことが多いのです。

身離れが悪く、骨ばっかりのパターンが多いのです!

(水差しから水を入れて飲む)

もうひとつのパターンは、沖縄そばメインがてびちだけ妙に”てびち汁”に寄ってしまい、大変中途半端になっているパターンです。

出汁やスープは共通なのに、てびちそばにだけ急に大根とか人参とかを入れてくるパターンです。

私はこのパターンが一番腹立たしく思います。

結び昆布などを目にした時には意識が遠のくときもあります。

何がしたいんだと!どこに行きたいんだと!

中途半端なスイングしやがって、もう明日から二軍だ!

と言いたくなります。

やはりてびち自体の仕上がりも中途半端で目も当てられません。

最後のパターン。

これはてびち専門店のてびちそば。

これは、そばが逆にアイコンになっています。

「今日はご飯と言うよりそばかな・・・」

というてびち好きのためにものです。

沖縄そば屋とてびち専門店は基本的に違います。

できることならば!

沖縄そば屋がてびち部門を専門化してもらい、

それからてびちそばを出してほしい。

店内にリリースしてもらいたい。

しかし、そうなるとマルチリソースによる経営悪化は目に見えています。

つまりこの問題は解決しようがないのです。

なので、ここは思い切って沖縄そば屋でのてびちそばを辞めていただきたいと提言するに至ったのです。

「注文しなきゃいいじゃない?」という声もあろうかと思います。

しかしですね、しかしですね、

メニューにあったら頼んでしまうのですよ!

”てびちそば”については業界全体で是非ご一考いただけると幸いです。

 

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www.okinawatimes.co.jp  

この記事を読んだ時、

この人よく見てるなと思った。

しかし、この記事を見た地元の反応は、

「ナイチャーに何がわかる!(怒)」が8割

「もういいよこんな話はまあ飲もうよ」が1割

ほぼその通りだと言う人は1割くらいじゃないだろうか。

自分の経験を例え話で言うと、

沖縄にはたくさんの補助金が降りてくる。

でもほとんどがODAのように本土の大手が受託してお金がUターンする。

地元では弁当屋さんが普段より儲かるのでそれでよい。

いや、ちょっとそれはおかしいよね?

「オレは本土の大手でなくてもいい仕事は地元で請けたいと思う」

このセリフを言った途端周りから、

・金の亡者

・自分のキャリアのことしか興味持ってない。

と評価される。

上流側の仕事を受けるため、どんどん自分の経験やキャリアを積み磨いていく。

そして結果が出たら周りから、

「自分の手柄をアピールしている」

と言われる。

要するにみんなで貧乏してたらいいだろうという世界なのである。

沖縄は離婚率が高い。

離婚の理由はいろいろあるが、ほとんどお金があれば解決できる問題だ。

「金で幸せは買えない!」

こう言われる。

金ではない。

女房子ども食わすためにもっと自分のキャリアを積むか、

上昇志向があるかが重要なのである。

上昇志向があるということは家族のために努力をしていることになる。

これが愛でしょう。

万年給料が変わることなく、たまの模合で友人と酒を飲むのを楽しみにしている父親。

DV、実家との確執、全てはそこから起因している。

まともな父親は40歳前後に気づく。

定年間近のベテランを見て、「あれがオレの20年後か」

それを生き方のロールモデルにするかしないかは個人の自由である。

が、まともな父親は家族のために自分のキャリアを磨ける環境へ飛び出していく。

その様は逃げるように見えるだろう。南の善き人たちからすれば。

地元愛はもちろんあるが、このような風潮と、それを美しいとする誤魔化しにはずっと辟易している。

 

ドラマー募集

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「夢で啓示を受けた」

と目の前の人が言ったらどう思いますか?

僕はすぐその場から逃げます。

その筋の話に寛容性がすっかりなくなってしまったので、

「出たな!地味な立ち位置からニューカマーに躍り出ようとしているヤツめ」

と思っていまうのです。

しかしながらそんな自分でも実は夢で啓示を受けてひっそりと目標にしていることがあります。

去年の末頃でしたが、

65歳になったらカレー屋をやれ

という啓示を受けました。

その影響なのか、普段の生活でも知らず知らずのうちにカレー屋のビジネスモデルを朧気ながら考えてたりします。

この間なんかひとりでココイチに行ってルーを真剣に吟味したほどで、

いつものように3辛のフライドチキンカレーを楽しむという風情と違い、

「なんか分析のために食べてごめんな」と目の前のカレーに対して思うくらい

カレーとの関係性に変化が生じています(なんだっそら)

で、つい最近も変な啓示があったんですよ。

x1ykという名のバンドを組めという啓示が(夢で)。

バンドを組むのが目的というよりは、x1ykという名前が重要のようで、

x1ykと書いて「バツイチヤンキー」と読むらしいんですよ。

で、唯一はっきりと覚えているのが、

なぜxを始め全て小文字なのかとという理由が、

サイバーな感じが出るから

という理由だったんですね。

啓示というのは恐らく自分の潜在意識にアクセスしているに過ぎないと思っているので、なんでバツイチヤンキーなんだろうと思っていたんですが、

心当たりがひとつだけありました。

ウチのマンションの上の階の部屋、

たくさんのヤンキー風な女性が出入りしているんです。

子供を連れてくるんですが、

正直、現代にこんな怖い感じの女性がいるのかと。

恐らく無許可で託児所をやっているんでしょうね。

昼夜問わずたくさんの元気な子どもたちの走る足音がすごいです。

3回くらい注意して、そのうち1回はありえないくらい怒鳴ったんですが、

(しかも大晦日の夜中に)

ヤンキーの女性もたくさん来るから情報共有されてないんでしょうね。

クレームをもみ消す企業みたいに。

で、勝手にみんなバツイチだという先入観が私にあったのかもしれません。

ガラの悪い男も出入りするし、夜におはようございますとか言うし・・・。

でまあバンドもやろうかと薄っすら考えています。

トリオでやるとして、ドラマーがいないんで募集したいと思います。

昔はよくプレイヤー誌とかにメン募出してたなー、

「自分以外のパート募集!当方プロ志向!」

とか載せてたなーフフフ。懐かしい。

「自分以外のパート募集」ってよく考えたら闇しか感じないな。

(僕です)

音楽的には牧歌的なやつがいいかなーと考えています。

でも狙った牧歌的ではないです。

牧歌的なものを狙ったらオーバーオールを履いて前髪をパッツンに揃えないといけませんし。

ヤギ見たら「ヤギだー!」って追っかけないといけないし。

メンバーの写真は原っぱで寝っ転がらないといけないし。

カメラ目線でピアニカ吹かないといけないし。

ハンバーガーは両手で持たないといけないし。

帽子の上に丸いぽんぽんがついてないといけないし。

キャラ的にちょっと難しいかなって。

理想としては、プレイはキース・ムーンだけど、それ以外はキースと正反対でスーパー凡人な感じの方ですかね。

沖縄ではキース・ムーン顔とプリンス顔結構いますけど、

顔だけキース・ムーンでもいいですね。

少し話は逸れますが、先日、東京だったかで居酒屋の2階に立て籠もって

いろんな家具を外に投げ捨てたり、花火を打ったりしている上半身ハダカの男が逮捕されたニュースをありましたね。

あの映像を見ながら思わず

「ホテル宿泊中のツェッペリン・・・」

「グルーピーとの乱痴気騒ぎ」等、70年代のミュージックライフ誌で読んだ外タレの逸話に思いを馳せてしまいました。

まぁキース・ムーンなら2階からドリフみたいに車で飛び出してくるんでしょうね。

 

あと音楽的にはどうだろうなー。全くビジョンがありません。

揃ったときに適当にジャムって雰囲気で作るみたいのがいいかな。

でもバンドめんどくさいんだよなー。

でもいい人(ドラマー)いたら組んでみたいな。

 

 

 

 

森ガール

その昔、「森ガール」なるものが流行っていた。

厳密にいうと流行るというより、新しいカルチャーの”仕掛け臭”を纏っていたに過ぎない。

Wikipediaによると、

”「ゆるい感じのワンピースが好き」「カメラが好き」「手作りが好き」「雑貨屋さん巡りが好き」といった嗜好があげられた。”

らしい。

森関係ないんすけど。

森って言ったらまずはムヒだろう。

西表島の森なんてヒルがいて、サバイバルナイフで削いで取るんだぜ。

何億という金を使って森(というかジャングル)に道路を作っていた最中、ヤマネコと鉢合わせになって工事自体中止になるんだぜ。(素晴らしい英断)

川から顔半分出してマーティン・シーンのマネもできるし、

川に捕虜を沈めて傍でロシアンルーレットもできるんだぜ。

森を舐めるなよ。である。

さて、森ガールと来たら森ボーイは誰なんだ、と考えるのが一般的だと思う。

そこで断言したい。

元祖・森ボーイ。

それは、

蟹江敬三

 

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ドラマGメン75にちょいちょい出てきた悪い人役である。

犯人役というよりやはり「悪い人役」である。

蟹江敬三はこのドラマの望月源治役でブレイクしたと言ってもよいだろう。

とにかく怖かった。

森に住んでてちょっとしたことですぐに斧を振り回す。

今はどうか知らないが、昔はどの学校の近隣にも「鎌を振りかざすオジイ(たまにオバア)」がいた。

いわゆる都市伝説に過ぎないのだが、

カジュアルなナマハゲというか、なんとなくその存在が子どもたちの秩序を保っていたこともあった。

そしてそれらは「こちらからなにもしなければあちらから能動的アプローチはない」という子供ならではの都合が良いルールがあった。

・・・集団的自衛権のことですね。

で、蟹江敬三はそういうルールがなかったわけだ。

人をさらって殺害するにも斧を使う。

子供ながらに斧ってムゴいと泣いて怖がったのだ。

女性の行動を制限するほど保守派ではないが、森に出かけるのは重々気をつけてもらいたい。

今の世の中なんでもありで無慈悲だから。

そしてあんなに怖かった蟹江敬三が、追々渋いダンディーなキャラに定着していたことは、僕が我慢できたとしても、若林豪(オーストラリア)は納得できないだろう。

この、「最初最悪なのに後年かっこよくなるフォーマット」

は、その後、長塚京三に受け継がれたのである。

 

 

営業成績が伸びない理由

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今からものすごく上から目線な話をします。

堪えてつかーさい。

会社に営業というセクションの人たちがいますが、

大体売れてません。

成績で言っても優秀な人でも多分トントンだと思います。

ここで言うトントンは、ギリ会社が出す自分へのコストと売上がトントンと言う意味です。

そして社内の雰囲気作りのためだけに存在するようになるわけですね。

今どき会社も簡単にユーアーファイヤードできないので、

「えーい、もうそのノボリもってあの辺で振っとけ!」

となるわけですね。

いろんな営業がいろんなものを販売し、その報酬を得て生活していくわけです。

 

ダイソンの掃除機を売ろうとした場合、

成績の悪い営業マンは額に汗で口角泡を飛ばして、

ダイソンのテクノロジーの話を延々とお客さんにするのですが、

これは自分なりのルーティンに見せかけのパッションを乗せた、

神様許してくださいスタイルであり、売れるわけがありません。

お客さんはそれが価値あるものだとわかればすぐに買うのに、

成績の悪い営業マンは最終的な価値をお客さんに判断させるという、

なんとももったいないことばかりをしてしまいます。

「掃除を面倒くさがる人が、毎日掃除をすることになる」

それがお客さんが理解できる価値でしょう。

「掃除はしたいがなかなかやらない面倒くさがりの自分が毎日掃除するなんて、え?どうやって?」

その後に性能や特徴の話になるべきなのですが、

成績の悪い営業マンはその順番を誤り、成績が残せず、

男芸者の道を歩むわけです。

でもセーフティーネットってわけでもないですが、

男芸者を必要としている会社は沢山あるのです。

 

こらえ