波照間島にて

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日本最南端の有人島波照間島

港で2時間船を待つことになった。

閑散としたターミナル内はこの灼熱下においても空調が作動していない。

ときより吹き抜ける風がターミナル内の熱気を申し訳程度に撹拌し、

時計の長い針はさっきから動いていないように思える。

このターミナルに1件だけ飲食店が常設されていて、

その店の店主は一際とっつきにくいオーラを発している。

周辺には飲食店がないので、店主に嫌われることは餓死を意味する。

無愛想な店主に生殺与奪を握られていることは、そこに訪れた者なら

すぐに気付くものである。

ここの店主の口癖は「待て」である。

「すいませーん」

「ちょっと待てよ」

沖縄そばの並ひとつ」

「待てったら」

キムタクかこの店主かというくらいのものである。

オリオンの生ビールを頼む。

フリーザーから取り出したジョッキにビールが注がれ、

手元に届くまでには完全にぬるくなっている。

”秒で”ぬるくなるので慌て飲まなければならない。

「ビールが一番上手い湿度だな」

思わず言った独り言に対し、

「そんなのあるのか?」

店主がツッコんでくる。

どうやら嫌われてはいないようなので、

続けて沖縄そばを注文する。

時計の針は相変わらず動いていないように思う。

昔は色々な本を読んだ影響で、

インテリ層の考え方に随分感化されていたが、

今は真逆の考え方になっている。

無人島に釣りの名人と学者がいたら釣りの名人が生き残るという単純な理屈を今では持つようになった。

「トランプが勝つようなアメリカはアホだ」

こんな意見がバカバカしく感じるようになっている。

店主の深いシワを見ているとことさらそのような考えが強くなる不思議。

地元の名産である泡波をロックで注文する。

店主はロックグラス表面まで波々と泡波を注ぐ。

完全に受け入れられている気がする。

しかし、そんなことで喜ぶなんてよっぽど自分が都会の人間なんだなと思ってしまう。

店主は店以外の時間なにをしているのか気になるところだが、

島に来ると「生きることを生きる」という空気を感じて、

なぜだか不思議だが、自分が恥ずかしくなるような感覚になる。

人間が年をとると土いじりを始めるのが薄っすら分かる気がしてきた。

 

 

 

 

骨汁を北大路魯山人的に語ってみる

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出し殻で作った料理と聞くと少しばかり気がひけるものであるが、

骨の髄にへばりついた肉というのは、骨の旨味までも最後の最後まで取り込んでいると考えると楽しさもひとしおである。

骨汁は深鉢にこんもりと盛るのがよろしい。

塩味と味噌味で好みが分かれるが深酒の後などは塩味のほうが出汁の旨味を堪能できる。

骨からすぐに剥がれる肉を両手で掴んで直接食べるのも大変美味しいが、

剥がれにくい肉は箸でこそぎ落として最後に出汁の効いた汁と食すのもお薦めである。

骨から肉をこそぎ落とす時間帯は誰もが無口になってしまうもので、

接待には不向きと言えよう。

隙間なく埋め尽くされたこの料理はよく見れば3箇所くらいの空間がある。

そこからそれぞれ小さじ1杯程度の生姜を入れるとなおよろしい。

コーレーグースは具に直接かからぬよう、ポンプタイプの入れ物が好ましい。

大量にあった骨があれよあれよとなくなっていく様は大変楽しいものである。

昨今は和洋折衷様々な料理をいろんな店で食べられるようになったけれど、

骨汁は人の原点を思い出させてくれる。

粗末な出し殻を食べる背徳感などは、大いなる食への興味が軽く凌駕するものなのである。

ラッキーというヤツを見た

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エベレスト登頂に成功した人は3,000人以上いるらしい。

例えば、その3,000人に深掘りしたインタビューを行い、

そのビッグデータからエベレスト登頂で得られる感覚を抽出して書籍にした場合、

それを読むと登らなくても何か得られるものがあるかも知れない。

これはいわゆる自己啓発本の類となり、

教えが効率的にキャッチフレーズ化し、

最終的にはお経やおまじないとなり、

登った時にしか得られない”気付き”を仮想的に得る。

そしてそれを繰り返すと人は思考停止になっていく。

 若くしてそうなっている人には心底同情してしまう。

占いなんかもビッグデータを参考にした元祖のようなものだけど、

「あんたのような人はこうなるよ」と言われた瞬間に、

タイムマシンで目の前に現れた未来人からなにか言われたのと同様に、

未来が変わる。

だから目の前のことを一生懸命頑張って、振り返ってアレが良かったとか悪かったとか考えれば良いし、そうじゃない気付きは全て仮想的なものである。

先日、ある居酒屋に入って飲んでたら、隣の席から「●●さん!」と、

僕の名を呼ぶ人が。

驚いて振り返ると、以前の会社在籍時代に取引をしていた会社の人だった。

辞めて以来会ってもいないし、辞める際に挨拶すらしてなかったので、

気まずいなーというのがその瞬間の正直な気持ちだった。

しかし、久しぶりだということもあって、その後大分会話が盛り上がった。

その席で僕は、

「今、大型案件受注に向けて頑張っているので、受注したらAさんの会社に発注しようね」なんて酔いと楽しさに任せてその会社の人に話をした。

それから数週間後、その大型案件受注が決まったので、

すぐにAさんに連絡をして発注する旨を伝えた。

とても喜んでいたし、しつこいほどにお礼を言われた。

この流れは本当に不思議だと思う。

Aさんはこの仕事を取るための努力は一切していない。

ある時、居酒屋に行っただけの話である。

そしたら昔知っている人がいて、その時一回しか会ってないのに、

しばらくしたら電話があって、それが仕事の依頼だったのだ。

これをラッキーと言わずしてなんと言うのか。

ただただラッキーな話でしょう。

僕はそれをただの偶然だと思うし、意味を持たそうとするほどヒマではない。

しかし、人によってはこのストーリーから何かをひねり出す人もいるかも知れない。

そしてそこからひねり出された教義が、

「水曜に居酒屋に行くべし」

「4人掛けのテーブルに座るべし」

になるかも知れない。

過去のデータからラッキーを作るルーティンを開発し、本気でそれを実践する人もいるかも知れない。

なんだろう。僕からすると世捨て人になるための教義、悪魔の教義としか思えないんだが・・・。

 

異業種交流会の不思議

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「こんにちは、私、AIを使ってすっぽん養殖の管理を一元化できるシステムを販売しているどこそこ商事の誰それです。」

「はじめまして、私はどこそこ交差点のなんとかビルでネイルサロンビューティーホニャララを経営している誰それです。」

「あーネイルですかー、女性の世界には疎いもので・・・」

「いえいえ、男性も最近は結構多いんですよ。ヌーノ・ベッテンコートの影響なのかわからないのですが、それよりすっぽん大好きなんです私」

「そうですかー、では今度ネイルのお店行きますので、貴女も私の会社にすっぽんを見に来てくださいよー」

異業種交流会ってこんなイメージであってる?

自社リソースを他社との協業で補い合って互いに成果を出すことをビジネストゥービジネス(B to BまたはB2B)と言う。

例えば、営業系が強い会社と技術系が強い会社が組めば、

大手に負けない体制となり、市場が広がる等の効果がある。

私の仕事は営業だが、仕事の半分くらいはその協業作りに費やしている。

これらは大きな畑の中では同業同士のアライアンスであり、

それを組む際にグラスの底を紙ナプキンで包んで会場のあちこちを歩くことはない。

乾杯もない。

異業種交流というものがある。

あれは元々、異業種の経営者が集まり”経営”という共通言語があることで、

今までなかった発想をシェアしたり、学んだりすることだった。

ところが最近は現場レベルの人間が参加していると良く聞く。

現場レベルの人間にとって、異業種交流とはカスタマートゥカスタマー(C2C)である。

異業種交流会でケーキ屋さんと知り合ったら、せいぜい、そのケーキ屋さんのカタログを自社に持ち帰えるくらいしかできない。その代わり、ケーキ屋さんに自社が開発したカツラのカタログを持って帰ってもらう。

C2Cだから広がりもあるわけない。

ただのお友達なのである。

ただのお友達作りを会社の経費でやるなんて、なんて優しい会社なんだろうと思ってしまうが、なぜ現場レベルの人間が異業種交流好きになってしまうのか。

これは単純である。

楽だからである。そして楽しいからである。

それはなぜか。

そこにはなんのしがらみもないからである。

なんのコミットも責任もないのである。

嫌になったら行かなければ良いだけの話なのである。

「人のために頑張る」という、この局地的な一部中の一部に現実から逃げることができるからである。

なんとなく仕事に打ち込んでいる感が出るので思考停止で気持ち良いのである。

せめて管理者レベルの人間でヒマがある、もしくはやるべきことがマジでわからない人が参加すべきである。

異業種の前にやるべきことは無数にある。

 

 

 

 

今でも探しているよ

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先ほど羽田について食事しようと入った店で、

山崎まさよしの名曲「ワンモアタイム・ワンモアチャンス」が流れてきた。

男のひとりよがりな後ろ向き感全開の曲だが、バカポジティブな曲よりは少しはマシな曲だ。

好きだったオンナと別れたけど、どうしても忘れられなくてあちこち探してしまう、

という、一回カウンセラーやセラピーと紹介したくなる内容なのだが、

とにかく、探す場所のクセが強い。

これはつまり、本気で探してはいない=探したいけど諦めている、という意味なのだろうと思うのだけど、少しクスッとしてしまう部分もある。

「いつでも探しているよ」をブリッジとして、

”旅先の店、新聞の隅”って、

死亡広告を探しているようで怖い。沖縄おくやみ情報!と言いたくもなる。

あと”路地裏の窓”って軽くヒッチコックが入っているし、

”明け方の街、桜木町で”と言われても、

「ピンポイント過ぎて!ははーんお主探す気ないな?」

と言いたくもなる。

ところがだ。この曲を今聴くと大変味わいがある。

当時と現在の差異に趣がある。

当時はSNSなんてなかったので、まぁ旅先でも探したのだろうが、

今の時代では手法は変わってくるのである。

「今でも探しているよ」

の後はやっぱり、

ハッシュタグで、エゴサーチで”となるし、

facebookで、twitterで”

となり、探しやすさや探せる確度が以前と比較して異常に高くなるのだ。

探されると困るものが探せちゃう可能性があるのだ。

そして個人情報保護法に抵触するリスクも背負うことになるのだ。

予測変換次第によっては地球政府googleに訴訟が起こる可能性もあるのだ。

つまり斧で和紙を切るようなものなのである。(よくわからない例えだけど)

友達がいない人間が仮想的に1,000人の友達やネットワークを作れる世界も功罪があるわけなのだ。

味気ないと思うのは昭和の人間ならではのつまらない感傷かもしれないが、

この曲を聴きながら、便利さというのは機微とか行間の表現を殺すこともあるんだなとふと思った。

 

スイングイップスに悩んでいる人に捧げる

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34歳でゴルフを始めた。

2年くらいで100を切れた。

割りと器用なタイプなので、

”やり始め”のレベルは高い方だ。

 

ある日、本土から来沖した某会社の方とラウンドした時の話。

彼がラウンド中に一言僕へ言った。

「オーバースイング気味だね」

その時は「え?そうですか?」くらいにしか受け止めていなかった。

しかし、後のプレーにおいて、トップからダウンスイングに入る際に変な違和感を感じていた。

追々分かることなのだが、その一言が自分の潜在的な部分、

つまり、自分で制御しようもない超内的世界で癌細胞のように蠢いていた。

それからしばらくして、あるコンペに参加した。

スタートからやはり前回感じた違和感がある。

宜野座カントリーのOUT6番のパー3で事件が起こった。

自分の打つ番になり、いつものルーティンでアドレスに入り、

バックスイングを取る。

ちょうどトップの位置からダウンスイングに入る時にそれは起こった。

「クラブが・・・下りない・・・」

そう、体が完全に硬直してクラブが下りない、つまり球を打てないのだ。

顕在的な意識で下ろそうとする自分を自分の潜在的な何かがブレーキをかけ、

クラブを持ち上げたままグラグラしている。

一緒にラウンドしている周りの人達はそれを見て一斉に爆笑した。

「なーにやってる!」

「遠慮しないで打っていいよ!」

ティーインググラウンドが冷やかしの声でいっぱいだ。

しかし、自分の体が言うことを聞かない。

生まれたての子牛のようになって1分近く固まっていた。

次第に周りは黙り込み、

なにかしら異常な状態になっていることを理解したようだ。

結局、動画のバークレーのように変な打ち方でその場を過ごした。

・・・僕はこのような地獄の時期を8年過ごした。

もちろん何度も辞めようと思ったが、どうにか辞めないで現在に至っている。

今はこの8年間が自分の中では宝物になっているので、

いつかその話をどこかに残したいと考えていた。

イップスに陥ると周りが心配してくれる。

そして様々なアドバイスをくれる。

「下半身を意識したほうが良い」

「腕を脱力して肩を回す意識が良い」

「テイクバックを取らずダウンスイングだけを練習したほうが良い」

「肴は炙ったイカで良い」

全てアドバイスとしては正解である。

実際、そのようなアドバイスが最終的にはイップス解消に役立った。

しかし、イップスの状態にある時は、

それが理屈で解っていてもできないのである。

体が言うことを聞かないのである。

練習場では普通に打てるのに、

本番になるとやはり硬直してしまうのである。

「力抜けよー」

「あまり結果を意識するなよー」

そう言われてもどうしようもないのである。

やがてこのアドバイス自体が苦痛になっていく。

何度かクラブを放り投げ「もうゴルフ辞める!」と宣言したこともある。

なのに、なぜ辞めなかったのか。

一言で言うと逃げたくなかったということになる。

”今までなんでも器用にできる自分”

が止まっている球すら打てないという状況に陥ったとき、

その状況から逃げるのは簡単だが、

自分にこういう現象が起きるということは、

これを解消すれば何か得るものがあるんじゃないか?

と考えるようになった。

厳密に言うと、そう考えるように努力をすることから始めた。

それ以来、深層心理をどうコントロールするか、

というより深層心理をどう誤魔化すかだけを考えてラウンドした。

この8年は100を切ることはなかった。

いつもひどいスコアだったが、振れることに感謝するようにした。

脱力しようと思ってもできなかったり、

逆に力を最大限に入れてみたり、

とにかく試行錯誤の繰り返しだった。

左打ちを試したこともあった。

やはり器用なんで普通に打てるし、

恐らく人が見たら普通に左打ちに見えると思う。

ただ、これも逃げっぽい気がして辞めた。(笑)

 

肝心な”どうやって克服したか”は正直何が奏功したかは自分でもわからない。

上記のアドバイスを含めあまりにも色々なことをやってきたから。

ただ、今イップスに悩んでいる人の気持ちは良くわかるので、

自分なりにいくつか「これかな?」というものを挙げることにする。

1・自分に期待しない。

やってみると結構難しいです。OBを打っても良しと思うのは時間がかかります。

そもそもイップスになる人はそう考えるのは難しいと思います。

2・アドレスに入ると1個だけのことに集中する。

無心が良いんでしょうが、それは僕には無理だった。

逆にいくつも考えると体をうまく制御できない。

僕はインパクトの瞬間、頭を右後方に持っていくことだけを考えている。

下半身が遅れようが、突っ込もうが、インパクトの瞬間に無理やり頭を後ろに持っていくと(イメージで言えばインパクトの際に右肩が打ち出す方向に流れてきたときその右肩に顎をぶつける感覚)インパクト時点でうまく遠心力が効く。

打ち方が不格好でも勢いのあるボールが飛んでいくのでストレスが溜まらない。

インパクトを意識するのは本来よくないことではあるが、

潜在意識がテイクバックにこだわっている状態なので、そこの支配からちょっとずつ開放されたかも知れない。

別のことを考えることもあるが、とにかく1個だけというのを決まりにしている。

以上の2つくらいかと思う。

 

今はごく稀にラウンド中に近い症状が顔を出すことがあるが、

完治したと言っても良いと思う。

 

このイップスを経験したおかげで副産物的にというのか、

こうならないと絶対に自分では気付かないものに気付けた。

 

以前は不器用な人を見ると

「なぜこんな簡単なことができないのか?」

と思ったものである。

同じくメンタルの疾患を持ったり、なにかしらのコンプレックスで悩んでいる人をみても、「本人の気の持ちよう」と本気で思っていた人間だったのだが、

それがなくなった。

理解しても体が言うことを聞かないという苦しさを自分自身で味わったからだと思う。

なので、鬱の人がいてもなんのアドバイスもしない。

それを受け入れろとも言わない。

ただこちらがその人を受け入れ、肯定するだけで良い。

話を聞くだけで良い。

こういった病気と遊びのゴルフを一緒にするのは失礼かも知れないが、

自分を信用できなくなっている人間に対する善意のアドバイスは刃に近いときもある。

自分を受け入れられない人間が人の意見を受け入れるはずがない。

それができていたらそもそも健康なんだと思う。

格好つけるみたいだが、その感覚を体感したことで、別人のような思考回路がひとつ増えた。

苦しみを理解したかったわけではないが、図らずもこういう苦しみがあるということを体感できたのは貴重だったと思う。

そういった意味でゴルフには感謝している。

辞めないで良かった。

 

 

 

 

電話修理屋だったころの話

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20代半ばから40前くらいは●TTの電話故障修理の仕事をしていました。

恐らく、のべ5,000件以上の企業や個人宅をぐるぐる回っていました。

イメージは・・・クラシアン森末慎二みたいな感じで概ねOKかと思います。

個人の経験則・・・もしくはひとりよがりのビッグデータで語らせてもらいますが、

「電話が使えない」ということで修理派遣されて行く家は、

7:3くらいの割合で貧乏の家が多かった気がします。

パンチの効いた人やトリッキーな人も多かったですね。

思い出の残ったケースを書いてみようと思います。

 

「盗聴に怯える三島由紀夫似の不動産屋」

電話の盗聴を疑う人は結構多いです。

今では探偵事務所やそれ専門の会社に依頼することが多くなっていますが、

昔はNT●に依頼をするパターンが結構ありました。

某市の不動産会社に対応で行った時のこと。

盗聴されているとのことであちこち調べたのですが、特に異状は見つかりません。

その旨を伝えて帰ろうとしたら、

三島由紀夫似のその会社の社長が重苦しく相談を(勝手に)始めました。

三島由紀夫似なんで、クーデターでも促すのかなと思ったら、

「いつも帰る時には勝手口にセロハンテープを貼るのだが、今日来たら剥がれていた」

とのこと。

どこからツッコんでよいのかわからず生返事をしたのを覚えています。

数ヶ月後にその事務所は空き家になっていました。

 

「深読みの過ぎた人」

対応中に相談があると言われ、回線利用料の明細書を突きつけ、

自分の電話番号を指でなぞりながら、

「これ(電話番号に)、4という数字が2つもある」

「昔、NTTとケンカしたことあるから嫌がらせに違いない」

「訴訟を起こしたいので証人になってほしい」

「隣の部屋に住む女性に彼氏ができて夜うるさい」

最後はちょっと関係ないと思いますが、

シャレでもなく真面目に語っていました。

トリッキー過ぎですよね。

 

「保健所で対応すべき人」

中部の某市。

家について呆然とした。

ボロボロの家屋は玄関がゴミ溜めになっており、

完全に封鎖されている。

というか、人住んでるの?と思いとりあえず家を一周することに。

「オイ!オイ!」

という声が聞こえた瞬間、その家の窓からおじさんが僕に声を掛けていた。

部屋から糞尿のニオイや、混ざっていけないもの同士が混ざり合って、

人類にとってあってはならないケミストリーを醸し出しているニオイがする。

「本当にクサイのって目に来るんですね!」

そのとき生まれた僕の名言(脳内でしか言わないけど)

これからこの人の対応をしないといけないのか・・・

気絶しそうになる。

 

おじさんは当然、髪ボサボサでヒゲ生え放題なんですが、

上はランニングシャツで、下は・・・

アレ?なにも履いてない?

「うわ〜クマのプーさんのスタイル!」

と思うわけもなく、ひたすら固まってしまいました。

おじさんは、これが壊れていると言わんばかりに電話機を窓から僕に突き出しました。

600-Pという初期型プッシュホンで、

恐らくベテランの業界人しか知らないであろう旧き良き時代の電話機です。

これは困った。

外線の修理なら良いが、電話機を取り替えるにせよ家に入らないといけない。

「この家に入るくらいならクビになっても構わない」

カジュアルにそう思える程の家です。

故障修理業務を管理している人へ電話をかけて相談しました。

すると予想外の一言が・・・。

「あーその人保健所に通報しているので、対応はしないでいいよ」

「・・・・・あんたらが手配して対応させたんでしょーが!(北の国から)」

この家も数ヶ月後には更地になっていました。

この家で1点だけ気になったことが。

おじさんが声をかけていた窓に、

”おーいお茶”が10数本窓枠に並べられていて、

なんか気味が悪いなーと思ったんですが、

はじっこだけルートビアだったんですよね。1本だけ。

とってもとっても心の中でツッコみました。

今思うに、立った時に下半身をギリギリ隠すパーテーションの意味だったかも知れませんが、そっちより、1本だけルートビアというところにツボがありましたね。

 

「アンダーカレント」

真夏の灼熱のある日。

浦添市の白い一軒家。

褐色の肌でどこの国の人かわからないんですが、

エキゾチックであきらかに一般人ではないオーラを放つ女性。

家に入ると内装も白で統一され、玄関は吹き抜けになっており、

エアコンはフルパワーで動いている。

奥にアンダーカレントのジャケ写がフレーム入りで飾られている。

音楽は誰かは知らないがフュージョンが流れている。

汗がどんどん引いていき、作業も無事修了。

対応 を終えたクラシアンだったんですが、

エキゾチック美女が大きめのグラスにクラッシュアイス、

そこにお茶・・・いや、ティ、ティーを注いで差し出してくれた。

もう灼熱の外部に出たくない。

ずっとこの涼しいお家にいたい。

しかしそんなわけにもいかず、

泣く泣く灼熱の元、次の現場に行くのです。

街中でそういう作業者を見ると心の中で「頑張れよ」

と心で思うのです。

熱中症に気をつけましょう。